
朝から近鉄・橿原線の信号故障に巻き込まれたりして散々でしたが、四日市ドームのリーディング産業展へ出かけてきました。金、土と四日市ドームで開催され、近鉄四日市駅、JR四日市駅からシャトルバスが出ています。
リーディング産業展の第1回目は平成15年度ですから、今回で第12回目。確か北川知事が「琵琶湖環境メッセ」に触発されて三重県でも産業展をしようと始まった見本市です。全業種対応なので、製造業からサービス業まで様々な企業が出ています。
今回はマッチング支援というのがあり、出展社に事前にどんな企業などとのマッチングを希望しているのかアンケートをとり、なるべく引き合わせようというもので数社を担当しておりました。あとは、いろいろなブース見学。先週、メッセ名古屋があったので来場者は少ないかなと思ったら、そこそこあったようです。
今回は特別イベントとして「下町発!夢を追う町工場の社長たち」のトークがあり、下町ボブスレーが会場に展示されていました。
弥生時代の城跡 見晴台遺跡

名古屋の笠寺観音のすぐ近くにあるのが見晴台遺跡。
笠寺台地の東端にあり、周囲に比べ標高が15メートルほどある丘の上で、名前の通り見晴らしがよいところです。周りは住宅街になっていますが古代は海でした。縄文時代から人が住み始めましたが、弥生時代には集落が誕生します。東西約120メートル、南北約200メートルの周りを幅・深さとも約4メートルの堀(環濠)で丸く囲んでいました。魏志倭人伝に書かれた倭国大乱の頃でしょう。
堀跡が一部復元されていましたが、底がV字形の尖った形で、戦国時代の薬研堀にそっくり。堀の深さが4メートルもあって、しかも土塁までありました。かなり防御力が高い環濠集落です。発掘によれば集落は200年ほど続いたあと環濠が埋められており、名古屋市周辺の複数の環濠集落でも同様の動きがあるので、統一政権みたいなものが誕生したのかもしれません。
古代の名古屋といえば尾張氏が勢力を持ち、一族の一つが大海氏で大海氏が養育したのが大海人皇子。壬申の乱で勝利できたのは尾張氏のおかげでした。弥生時代に誕生した統一政権が尾張氏や尾張物部氏になったのかもしれません。
ただ不思議なのは桶狭間の合戦の舞台となった鳴海城に近く、見晴台も城をつくるには好立地だったはずですが、なぜか戦国時代の城は作られませんでした。太平洋戦争時代は立地に目をつけて高射砲陣地が作られ、今も土台が残っています。見晴台遺跡には見晴台考古資料館もあり、おすすめです!
エプソン ビジネスフォーラム2014(名古屋)でセミナー講師

名古屋・栄にあるデザインセンターでセミナー。デザインセンターはナディアパークという建物に入っており、建物内にはロフトなどがあって、なかなかオシャレなビルです。栄にある松坂屋のすぐ近くにあります。
米倉涼子さんがエプソンのプリンター(スマートチャージ)の宣伝をしていますが、最近、テレビCMの最後にエプソンのイベント案内(エプソン・ビジネスフォーラム2014)が流れますが、そのセミナーです。
セミナーは名古屋、大阪、東京で行われ、今日は第一回目の名古屋会場でのセミナー。名古屋と大阪でのセミナーの1枠を担当しています。セミナーのお題は「ITは所有から利用する時代へTCOを減らす5つの方策」で1時間、TCOについてしゃべっきました。TCOというのはITに関わる初期コストと運用コストを足したものをいいます。
セミナーは午後一番でしたので、午前中は弥生時代の遺跡を見て、すぐ近くの名古屋市科学館でやっていた特撮展もついでに見てきました。セミナーが終わってからは小牧に出て、小牧山城に登ってきました。さあ、大阪に帰ろうっと!
11月11日は「いしきりんの日」

【石切参道商店街】
「デンボ(腫れ物)の神様」として有名な石切神社が東大阪にあります。「がん」の治癒を祈願する人が多く、いつ行っても神社入口から本殿前を行き来きするお百度参りが行われています。
この石切神社と近鉄・石切駅との間を結んでいるのが石切参道商店街。商店街で一番多いのが「占い」のお店。たくさんの占い師が店を出していて、なかには古書街のようにずらっと占い師が並んでいる一角もあります。この商店街のマスコットキャラクターが「いしきりん」。
【いしきりん】
「いしきり+きりん」から命名されています。一応、未婚の女の子なんだそうです。
ずんぐりむっくり体型で、とてもキリンにはみえまえん。しかもキリンなのに首(クビ)がありません。そこから就活、リストラ除けのお守りや、アスリートの足切り(ボーダライン)用お守りとして、「いしきりん」グッズが売れています。
身長:1m4cm
体重:スイカ4個分
特技:時速50キロで走れる(ホント?)
尊敬する人:まんまちゃん
誕生日:11月11日(いしきりんの日) ← 今日です!
タレントとして松竹芸能に所属しています。(笑)
ニッカ池

報道ステーションで天気予報となると六本木ヒルズの毛利庭園がバックに映ります。だいたい天気予報が終わるとテレビを消して、本を読んで寝てしまいます。(笑)六本木ヒルズのある場所には江戸時、長府毛利家(支藩)の屋敷がありました。
江戸時代初期、幕府や他の諸藩を折衝にあたる江戸留守居役をおくことになり白羽の矢があたったのが福間彦右衛門という人物。筆まめだった人で膨大な日記『公儀所日乗』を残してくれました。おかげで当時の社会情勢や幕府と藩との関係がよくわかる一級資料になっています。講談社学術文庫から「江戸お留守居役の日記」として出ています。
麻布の土地はもともと水が豊富なところで江戸時代から金魚養殖がよく行われていました。戦後1952年にニッカウヰスキーの東京工場ができた時、毛利庭園にあった池はニッカ池と呼ばれていました。
とてもきれいな水で、ジュンサイも生えていたそうです。ウイスキー造りには最適だったのでしょう。現在は毛利池となっていますが、かってのニッカ池はこの毛利池の地下に埋土して保存されています。こんな話は「マッサン」には出てこないでしょうね。
紅生姜の天ぷら

織田作之助の代表作「夫婦善哉」に
「路地の入り口で牛蒡、蓮根、芋、三ツ葉、蒟蒻、紅生姜、鯣、鰯など一銭天婦羅を揚げて商っている種吉は借金取の姿が見えると、下向いてにわかに饂飩粉をこねる真似した。」
という一節が出てきます。
子供相手に天ぷらを揚げて売るお店の描写ですが、ちゃんと紅生姜の天ぷらを売っています。
今日のお昼は天ぷら蕎麦にしようとスーパーへ行くと、天ぷらコーナーに紅生姜の天ぷら(68円)を売っていたので、迷わず購入。時たま売り切れになっていたりします。紅生姜の天ぷら、やっぱり、おいしいですなあ。
以前に日経新聞で紅生姜の天ぷらを取り上げていましたが、この紅生姜の天ぷらって大阪、奈良、和歌山で食べる人が多く、同じ関西圏でも兵庫、京都、滋賀ではそれほどでもないという調査結果が出ていました。関東にいたってはスーパーへ行っても売っていません。
その割には、さっきクックパッドを見たら、「紅しょうが 天ぷら」 のレシピが122品あがっていました。でも全国的ではないんですね。ビールのアテには最高なのにねえ。
織田信長居館跡

岐阜へ行った時に一番楽しみにしていたのが織田信長居館跡。
場所は金華山ロープウェイの裏側にあります。ここにあったのが織田信長の居館跡。と言っても観光客はほとんどいません。発掘された虎口(入口)が復元され、他は発掘中です。
後奈良天皇の法会の財源問題で岐阜へ赴いた山科言継の日記が残っていますが、信長に連絡をとろうと右筆(秘書)の武井夕庵に頼むと、信長は山上の城にいて、「老人の身で山登りは大変だろうから、明日、麓の邸宅で会おう」、と信長から返事がありました。
山科言継と織田信長が会ったその邸宅が織田信長居館跡です。しかも、三河の徳川家康にも頼みにいくという山科言継に、「老人の身でこの酷暑のなか、三河まで行くのは大変だから家康には飛脚をとばして資金を調達するから、この岐阜で待っておればよい。」と飛脚で資金調達を助けてくれました。織田信長の実像について見直しが行われていますが、こまやかな気遣いをする人物だったようです。
山科言継の後、この邸宅を訪れたのがポルトガルの宣教師ルイス・フロイス。キリスト教布教の許しをえます。最初に会ったのが邸宅跡で、美しい庭園がいくともあると本国に報告しています。この庭園が、現在も行われている発掘で見つかり、邸宅跡からは金箔瓦も出土しています。安土城以前に金箔瓦を使っていたんですね。迎賓館のような存在だったようです。
稲葉山城(岐阜城)

先週、セミナー前に行った稲葉山城(岐阜城)。
さすがにセミナー前に金華山を登るのはやめてロープウェイに乗りましたが、高所恐怖症にはたまりませんね。岐阜城は昭和31年に造られたお城で、中は史料展示室になっています。一番上は展望台になっていて、濃尾平野が一望できます。名古屋駅前のツインビルもよく見えますので、戦国時代は織田軍の動きもよく分かったでしょう。
稲葉山城は難攻不落の城といわれた割には、よく落城しています。まずは竹中半兵衛に策略で落とされ、次は織田信長。「絵本太閤記」では秀吉が稲葉山城攻めで戦功をあげ、これ以降、瓢箪を馬印にしたという話があり、岐阜城にも千成瓢箪発祥の地という岩がありましたが、眉唾モノでしょう。
最後の落城は関ヶ原合戦の前哨戦で、織田秀信(三法師)が守る岐阜城を池田輝政と福島正則に攻められて落城。池田輝政は岐阜城の城主だったこともあったので、有利でした。
城のあちこちに戦国時代の跡があり、ちょっと脇に入ると野面積みになっている古い石垣があり、堀切も残っていました。昔の郭跡はレストランなどが建てられていますが、そう大きな城ではないですね。
正倉院展

正倉院展、いつもは平日の夕方に行くのですが、今年はうまく予定があわず本日、奥さんと出かけてきました。といっても混む昼間ではなく、オータムレイトチケットの時間帯。
オータムレイトチケットというのは閉館の1時間30分前より入場できる当日券で、今日は日曜で19時まで開館してますから17:30から入場できます。また800円の割引券にもなっていてお得。(通常は1,100円)
さすがに日曜なのでオータムレイトといえども少し混んでいました。 もっとも入場の待ち時間はなし。また18時半ぐらいに入口近くまで戻ると人はほとんどいませんので崑崙や酔胡従の伎楽面も間近で見られます。
正倉院展では毎回、写経生の古文書を楽しみにしているんですが、今年はなかったですね。その代わり恵美押勝が書いた、東大寺封戸処分勅書がありました。力強い筆跡の文章で最期には藤原恵美朝臣と記載。恵美押勝といえば藤原仲麻呂のことで、日本史に出てきた藤原仲麻呂の乱(孝謙天皇・道鏡と対立しクーデターを起こそうとして失敗した事件)の張本人。
以前、写経生が夜中に起こされて正倉院から武器を取り出した古文書が正倉院展で展示されましたが、これが藤原仲麻呂の乱に備えたものでした。写真は閉館間近の奈良国立博物館です。
大阪中小企業診断士会 交流会

昨晩は天満橋にあるドーンセンターで大阪中小企業診断士会の交流会を開催。
大阪中小企業診断士会は大阪府中小企業診断協会とは別に独立コンサルタントで構成された団体で、150名ほどの会員がおります。
会員通しの親睦を深めるため、昨年度まで2ケ月に1回程度、交流会を開催していたのですが、今年度から年2回の開催に変わっています。というわけで上期の交流会を昨晩開催しました。最終的には46名が参加。
福田理事長の挨拶では「中小企業診断士の日」を作る話も飛び出していました。各グループやプロジェクトからの近況報告のあとに、部屋を模様替えして立食形式でパーティを開催。無事に終わりました。
下期の交流会は4月4日(土)の予定です。