埼玉県新座市にある立教大学・映像身体学科では大学生が映像制作を学んでいますが、伊勢や伊勢神宮を訪れてオムニバス形式の映像、「伊勢美し国十二景」がWebで公開されています。
全部で十二景あるんですが、なかなかの秀作ですね。個人的によかったのが第六景の「かつて路面電車が走っていた」です。
伊勢には神都線と言う路面電車が走っていました。伊勢市駅・宇治山田駅から内宮や二見浦を結んでいた路線。
伊勢市駅から外宮へ続く、参詣道を路面電車が走っていたのは知っていたんですが、宇治山田駅は現在の伊勢うどん「ちとせ」のすぐ近くにあったんですね。伊勢商工会議所でIT窓口相談があると、大体「ちとせ」に寄って伊勢うどん定食(750円)を食べているんですが、狭い通りで、こんなところを路面電車が走っていたんですね。
第八景が「伊勢うどんと伝統のタレ文化」で、山口屋の製麺風景が出てきます。お店に伊勢うどんを食べに来た人が特徴を説明しているのですが、よく見たら菱田建材の社長夫妻(笑)。ビデオ撮りに駆り出されたんですね。
伊勢神宮に興味のある方は第一景から、ぜひどうぞ!伊勢をよく知っているという人にも楽しめる内容です。第五景「建物でめぐる伊勢の街」もなかなか貴重ですね。
▼伊勢美し国十二景
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桑名のMIT-Lab(ミットラボ)でセミナー
昨夜はMIT-Lab(ミットラボ)で講師をしてきました。
会場は桑名のアピタ前にある日本料理・丁子屋さんの2階。江戸時代から170年にわたって続く老舗で当主は7代目です。丁子屋さんは木曜定休日で、2階の広い座敷が研修会場、スクリーン、プロジェクターなども完備されています。
MIT-Labは桑名市を中心とした事業者が集まって、自らの商売を生かすためにECについて自主的に勉強していた集まりが発展した団体です。現在、1年間にわたりITを極めていく熱い塾「MKB5」がスタートしています。ホームページの基本について話をしてほしいとのリクエストでしたので「様々な業種のホームページ活用事例」というタイトルでしゃべってきました。
→ MIT-Lab(ミットラボ)
私も大阪で知的生産の技術研究会・関西を25年やっていますが、勉強会を続けるのはけっこう大変で、今まで続けてこられたのも運営メンバーのがんばりがあったからでしょう。三重活性化ビジネスIT塾「MKB5」も今回で5期生。3月~12月まで月1,2回開催されます。他にもいろいろとイベントがあり、昨日は交流会で受講生のイチゴ農園へイチゴ狩りに行くイベントがさっそく生まれていました。
塾生の皆さんは実に熱心。初回ということもありセミナー後は皆さんで自己紹介。塾が終わってからは桑名駅前で宴会。お店は過去のMKB塾に参加していた塾生が店長をしているイタリア料理店です。また異様に盛り上がったおりました(笑)ようやく終わってから何とか名古屋にたどりつきホテルにチェックイン。皆さん、ありがとうございました。
商い繁盛館が3月末で閉館
大阪南港にあるATC(アジアトレードセンター)3階、商い繁盛館で午後から窓口相談。
お昼はコンビニでおにぎりを買って南港の帆船とフェリーを見ながら食べようと思ったら、港は自衛隊のイベントがあるようで、すごい人。日曜なのでお約束のコスプレ姿も歩いていて、それに自衛官の制服も交じり、ちょっと異様な雰囲気。(笑)
商い繁盛館は大阪市が運営しており、お店の開業支援を行っている施設です。けっこう広いフロアで。いろいろな販促商品なども展示されています。時たまネットショップ向けセミナーを行っており、セミナーの併設して窓口相談が開設されるので、そちらの対応をしています。
ネットショップ系の相談が多いのですが、中には居酒屋を開業したい、どう記帳したらよいかなどいろいろですね。この商い繁盛館、残念ですが3月末で閉館することになります。今日はバタバタと8件ほど相談をこなしましたが、商い繁盛館での相談も今日が最後となりました。
お白石持行事
昨日は伊勢商工会議所でIT窓口相談でしたが、商工会議所入口にお白石持行事で使う奉曳車のミニチュア版が置いてありました。
お白石持行事は遷宮の行事の一つで、特別神領民が行います。新しい御正殿の敷地に敷き詰める「お白石」を奉献する 民俗行事で、宮川より拾い集めた「お白石」を奉曳車・ 木そりに乗せ、沿道や川を練り進みます。この時に木遣りが歌われます。
特別神領民は、ふだん立ち入れない新しい御正殿の近くまで進み、持参した「お白石」を奉献する行事で、始まったのは550年以上前にさかのぼると言われています。
特別神領民は基本的に地元、伊勢の人で本番前にいろいろ練習もあるそうで、知り合いも集まって、木遣りの練習などをしているそうです。
伊勢市駅前はビルの建て替えや駅前広場の工事などリニューアル真っ最中。伊勢はいよいよ遷宮本番を迎えます。
ホームレスから上場企業社長へ OKwave
ウィンク愛知で開催された情報化サミット2013に参加してきました。中部IT経営力大賞の表彰式もあわせて行われました。基調講演がOKwave社長の兼元社長でした。名古屋市出身です。
鳴海小学校、鳴海中学校出身。日本で生まれ育ったので韓国語もしゃべれないのに在日朝鮮人のため、いわれなき差別を受けます。愛知県立大学を卒業し、京都のデザイナーグループ会社に入社。順風満帆にデザイン畑を歩んでいましたが挫折。身一つで東京へ出ましたが家も仕事もなく、ホームレス生活へ転落します。土管の中で寝ながらパソコンひとつでデザインの仕事を受注しホームレス生活は2年続きます。
誰にも相談できない中から思いついたのが「Q&Aサイト」これがOKwaveになります。今では月に5000万ユーザーが集まるサイトになっています。OKWaveは無料で使えますが、企業向けに売っているのがQ&Aサイトの仕組み。つまりFAQ(よくある質問)ですが、作るのはけっこう大変で、例えば回答がそれでよいのか上司が了承するためにワークフローがいります。
現在はサポートが重要な時代になっており、例えばデルが経費削減のために大連へコールセンターを移しましたが、日本語が堪能な中国スタッフなので、受け答えは大丈夫ですが微妙なニュアンスが伝わらずソーシャルでたたかれることになります。結局、売上減になってしまいました。しっかりサポートできないと会社として生き残れない時代で、Q&Aサイトが必要とされています。面白い事例で、情報システム部のエンジニアがワードでの罫線の書き方を質問しているケースもあるそうです。情報システム部なのでパソコンでもなんでも得意というのは大いなる誤解ですね(笑)
兼元社長は「グーグルを超える日」(ソフトバンククリエイティブ)という本を出されていますが、まだまだGoogleがメジャーな時代ではなく最初のタイトルは「Yahoo!を超える日」だったそうです。出版がソフトバンク系だったのでGoogleになったという裏話も披露されていました。
大名行列屋の経営革新
江戸時代、各藩で大名行列が行われていましたが藩から全て移動するわけではなく、必要最低限の人間が江戸まで旅をしていました。
江戸の手前で人足を雇って大名行列を仕立てます。つまりアルバイトですね、京都の時代祭で学生アルバイトを雇っていますが、あれとよく似たものです。人足を派遣する口入屋がありました。ところが明治維新になってしまい、廃藩置県が行われて大名行列がなくなってしまいました。
外部市場がいきなり、なくなってしまったわけです。これは色々な商売で起きていて、例えば暦を作っていた業者がいましたが、いきなり太陽暦に変わってしまい、太陽暦しか売ったらダメだと言われて日しか書いていない味気ない暦が売れなくなってしまいました。
そこで考えたのが六曜。結婚式は大安吉日がよいとか葬式は友引を避けるとか現在でも使っているものです。単なる迷信でしたが、新暦にあてはめるとけっこう不思議な感じがして、庶民に流行してしまいました。今も上棟式を大安にするようなことになったのは、この暦業者が苦肉の策で掲載した販売促進が元凶です。
さて大名行列の口入屋ですが、市場がなくなってしまったので新規事業で考えたのが葬式行列(葬列)。それまでしめやかに行われていた葬送を、たくさんの行列でショー化することに成功。皆が、葬列を出すようになりました。大名行列でつちかった能力があるので先頭には奴の行列まであったそうです。昭和の初めころまであったようです。
朝日文庫から「増補新版 霊柩車の誕生」(井上章一著)という本が新しく出ていて、この葬列の経営革新の話が出ていました。この井上先生には「人形の誘惑--カーネルサンダースからの知的調査術」というタイトルで、話をしてもらったのは1999年。阪神タイガースが優勝できないのは道頓堀川に沈んだカーネルサンダースの呪いだとまことしやかにささやかれていた頃です。
物部神社(一志)
物部神社は物部氏に由来する神社で日本の広い範囲にわたって分布しています。祭神の多くは、物部氏の初代とされる宇摩志麻遅命や祖神である饒速日命です。
東大阪や八尾は物部氏の根拠地だったので、そこらへんに物部の神社があります。ウチの近くにあるデンボの神様で有名な、石切神社は饒速日尊とその子供、可美真手命(うましまでのみこと)を祭っています。神主さんは代々、木積(こづみ)氏で、もともとは穂積氏という名前。饒速日尊の第七代目が穂積と名乗り始めました。つまり木積氏は物部氏そのもので、現在まで家系が続いています。出雲国造も延々と続いていますが、東大阪にもこんな一族がいるんですなあ。石切神社の神主も百何代目なので、めちゃくちゃ古い神社です。
八尾には物部守屋が聖徳太子や蘇我馬子と戦をした場所が大聖勝軍寺として残っています。
伊勢には飯高の伊勢寺神社(合祀)と一志の物部神社の2つがあり、一志の物部神社に行ってきました。場所は近鉄で名古屋から伊勢中川駅に向かう手前にあります。雲出川を渡ると大阪線への分岐があるのですが、川を渡る手前、住友電工の工場のすぐ横。電車が伊勢中川駅に向けて減速する頃に見ることができます。
社殿は建て替えられており、きれいになっていましたが古代からずっとあったんでしょうね。伊勢には伊勢津彦という出雲と同じ国譲りの神話が残っていますので、物部(出雲系)ですので、その頃から神社があったかもしれません。
筒井城
近鉄・大和八木駅から西大寺駅に向かう途中、筒井駅という普通しか止まらない駅があります。高架駅になっています。
駅の横が商店街になっていますが、かって一帯は筒井城という平城でした。室町時代~戦国時代の筒井氏の居城。筒井氏で有名なのが筒井順慶です。洞ヶ峠の逸話で有名ですが実際は山崎の合戦への強力を頼んだ筒井順慶を明智光秀が洞ヶ峠で待っていたのが真相のようです。筒井康隆が小説「筒井順慶」を書いていますが筒井一族というわけではなく同じ姓だからのようです。
筒井城は大和の中心地にありますので、しばしば戦場の舞台となり攻城戦が5回もありました。信貴山の松永久秀などともよく争っていました。
筒井城の中心部は蓮根畑になっていて「シロ畠」という名前がついています。筒井の殿様が住んでいたので遠慮して家を建てないと伝承され、現在も畑のままです。ちょうど発掘調査をしていました。城跡は残っていませんが、堀の跡が水路になっているなど、現在も当時の城の様子をうかがえる箇所がいくつかあります。
筒井順慶は織田信長の部下となり筒井城から大和郡山城に移ります。筒井順慶は若くして亡くなりますが、筒井氏は秀吉の時代に伊賀上野に移封。やがて藤堂高虎が大坂の陣に備えて、伊賀上野城を築きますが、その前にあったのが筒井の伊賀上野城。現在も筒井時代の天守閣があった場所などが伊賀上野城に残っています。ちょっと分かりにくい場所なので、誰も行きません(笑)
木造城
久居(市町村合併で現在は津市になっています)の企業へ専門家派遣で行っていましたので、終わってから木造(こつくり)城に行ってきました。
城と言っても田んぼの中に土盛りがあり石碑と案内板が建っているだけです。城の近くには木造神社や集落があり、ここらへんが根拠地でした。少し行くと大阪、伊勢、名古屋の分岐点である近鉄中川駅です。近くを雲出川が流れています。
木造城の城主は木造氏、もともとは北畠氏でしたが2代目が京都住まいで足利将軍と親しかったため、本家北畠氏の南朝と対立しました。この時に木造城は北畠に攻められて落城。木造氏は幕府側の加勢を得て反攻し、国司北畠満雅が岩田川の戦いで討死することになります。