シロモチ君

siromoti201103.jpg津駅から大阪へ戻ろうと津駅西口に震災の募金を呼びかける声が。

先頭にいるのは津に来て戦隊ツヨインジャー。ツヨインジャーは津の観光PRヒーローで西口にいたのは赤のツヨレッドでした。ツヨイエローとツヨブルーは東口にいるのかなあ。その後ろにいるのが津のゆるキャラ・シロモチ君です。

シロモチ君は三段腹の変わった格好をしているのですが藤堂高虎の出世の白餅に由来しています。

若い頃に浪人していた藤堂高虎が三河の餅屋で空腹に耐えかねてを無銭飲食しますが、主人から故郷に帰って親孝行するようにと諭され路銀まで与えられます。

やがて大名となった藤堂高虎が参勤交代の折に立ち寄り、主人に餅代を返すという人情話になっています。以来、藤堂藩では参勤交代では必ず、この店
に立ち寄り餅を食べるのが慣習になりました。藤堂高虎の旗指物はこの逸話から「三つ餅」。白餅は、「城持ち」に通じるという験担ぎもあるようです。この三
つ餅から作られたのがシロモチ君。

募金したらシロモチ君のステッカーがもらえました!

桔梗が丘へ

kikyou201103.jpg午後から桔梗が丘の企業へ。

桔梗が丘は奈良県との県境にある名張市にあり、近鉄が開発した住宅地です。大阪のベッドタウンの最東端になっています。一戸建ての広い家が買える
ということで人気で近鉄・桔梗が丘駅から大阪まで通う人が多かったのですが、通っていた世代も団塊の世代になってしまい、定期の利用者が極端に減ったそう
です。

桔梗が丘は近鉄が開発した地域ですが昔から奈良の桜井から初瀬街道が通っていて、伊勢神宮に仕えた斎王が伊勢へと赴いた道です。壬申の乱で東北へ
向かう大海人皇子が歩いた道でもあり古代の国道1号線ですね。次の美旗駅には古墳群があり、駅のすぐ近くに前方後円墳が今でも残っています。電車の窓から
見れます。前方後円墳の頂上へ登れますが、けっこう高く実に雄大ですねえ。

大阪あそ歩 放出(はなてん)

osaka20110316.jpg紀伊國屋書店・本町店へ行くと、大阪あそ歩まち歩きマップ集3分冊が山積みになっていましたので、買ってきました。

大阪あそ歩とは大阪の町を歩いて、その町の歴史を知ろうという取り組みで、早く言えばブラタモリ大阪版。もっとも番組よりだいぶ前から始まっています。150コースから選び、集合場所に集まるとガイドが2~3時間かけて案内してくれます。

マップ集には全150コースが掲載されていますが、けっこう知らない歴史があるんですね。昔、難読地名で有名な放出(はなてん)の近くに住んでいたのですが、地名の由来に三種の神器の一つ・草薙剣がからんでいました。

熱田神宮から草薙剣を盗み出した新羅の僧が乗った船が難破してこの地に漂着し、神の怒りを恐れて剣を放ったというのが放出のいわれなんだそうです。へ~え!知らなかった。

大阪あそ歩
http://www.osaka-asobo.jp/

AllAbout大阪ガイドの陸奥さんが大阪あそ歩のアシスタント・プロデューサーをしています。


合成の誤謬

今日、大阪商工会議所のネットショップセミナーに参加しましたが冒頭、気仙沼商工会議所など連絡が取れなくなっている商工会議所がいくつか出ているという話がありました。

商工会議所でもセミナー中止を検討したが、無事な私たちはしっかり事業をやって適正な利益を出し、税金を納めることで被災者に貢献しましょう。そのために商工会議所はバックアップしますと挨拶していました。

イベントを自粛しようという動きが出ておりますが、華美なイベントなどはどうかと思いますが、萎縮せず実施した方が結局はお金という形で経済がまわりますので被災者のためになると思います。

経済学で「合成の誤謬」という言葉を学びました。一人ひとりが正しいとされる行動をとったとしても、全体で見ると逆に思わぬ悪い結果を招いてしまうことです。例えば貯蓄は美徳ですが、皆が同じことをやってしまうとお金がまわらなくなり不況になってしまいます。

無事だった関西こそ、イベントなどをバンバン行い今以上に経済を活性化しなければなりません。私たちコンサルは支援先がしっかり利益を出し税金を支払ってもらうようにがんばりましょう!

Sガスト

gusto201103.jpg神保町の古本屋をぶらつき、お昼を食べようとキッチン南海へ行くと、店の前には行列。

早々にあきらめてブラブラしているとクイックレストラン・Sガストという名前の店を発見。ガストと言いながら店舗は狭く、吉野家のようなU字型カ
ウンター席しかありません。入り口にはガストのハンバーグ定食みたいな写真が貼ってあったし、大阪では見たことがないので話のネタにと中に入りました。

松屋と同じで入り口でチケットを買います。ハンバーグ&チキン&ソーセージ定食490円を購入。後は牛丼屋と一緒です。調理はあまりなく、奥で基本的に温めて作っているようです。面白いのがご飯を盛る装置があり丼を置くと自動的にご飯が出てくるようです。

料理が出てくるまでの時間は、牛丼よりは遅いですが、けっこう早いですね。ただご飯、みそ汁、おかずなのでスペースを取りますので食べるにはちょっと狭いですね。ただ客単価は高くなりますので、やり方次第かなあ。店員は3名体制で客席は10ほど。

店舗は東京を中心に30店舗ほどですので、関西では皆無です。

東京から大阪へ戻ってきました

tokyo20110310.jpg朝、山手線がまだ止まっているようでしたの新宿のホテルから東京駅を目指して歩き始めました。電車よりも昨日の居酒屋で食べて飲んでいましたのでメタボ対策が理由です。途中、地震で崩れた墓地などもありました。

市ヶ谷を目指して歩くと防衛庁の上ではヘリが飛び立っていました。皇居は閉鎖。美術館、博物館も臨時休館になっています。神保町の古本屋街へ行く
と1/4ほどが臨時休業。地震で棚の古本などが落ちたようで整理するために休みますと張り紙がしてありました。書泉グランデなどは開いていましたが1階、
地下のみの営業になっていました。

さて東京駅へ着くと在来線は動いていますが、3割~5割の運行。新幹線の切符売り場がけっこうたくさんあるんですが、どこも長蛇の列。昨日、JRなどが止まって帰れなかった関西や東海地域の人が買い求めるために並んでいるようです。

東北、上越、長野新幹線乗り場前にはたくさんの人が座り込んで運転再開を待っていました。「14時ぐらいに上越、長野新幹線は運転再開見込みでし
たが16時頃になります」とアナウンスが流れていました。しまったコンコース内にもけっこう人がいましたので昨日からずっと再開を待っているんでしょうね
え。

満員の新幹線で大阪へ戻ってきました。

山手線がストップ

tokyo201103.jpg
仕事&知的生産の技術研究会の総会があり東京へ。

山手線に乗って大崎駅へ着く手前でガタンガタンと振動が、なんだなんだと思ったら地震でした。けっこう揺れましたね。こりゃ復旧は難しいなと思って、とりあえず新宿を目指して歩きはじめました。

皆さん、ビルから出て避難しています。恵比寿ガーデンプレイスは山のような人が出ていました。小学校などは防災頭巾をかぶって親が迎えにきていました。歩いている間にも余震があり、地下鉄も全部ストップ。空には防災ヘリが飛び回り、異様な雰囲気ですね。新宿を目指し白金台、表参道、裏原宿などふだんは歩かない箇所を歩きました。東京の地理はよく分かりませんね。大阪みたいに碁盤の目にしておいてほしいなあ。だいたい、要所要所に地図がない。

迷いながら2時間ほど歩いて予約しておいたホテルへ。帰宅難民者から次々電話が入るようでフロントで満員ですと断り続けていました。エレベータが止まっているので非常階段で昇り降り。2階ですので助かりました。

絶対、中止だと思いましたが念の為に総会会場へ。事務局長だけがおりました。(笑)総会会場も懇親会会場もエレベータを使うので会場自体が営業停止になっていました。しょうがないので事務局長とさっきまで飲んでいました。24時間営業のお店なんで帰宅難民者が続々と。店内ではテレビで地震中継を放映中。

こういう時に携帯電話は全然、役だちませんね。公衆電話には長蛇の列ができていました。

伊賀は寒い

sanagu201103.jpgJR奈良駅から加茂駅へ出て、ひなびた関西線に乗り換え伊賀へ

2両編成のレールバスですが、けっこう乗客は多いですね。途中の月ヶ瀬あたりでけっこう降りたので梅林見学の観光客のようです。列車はひたすら山の中を通り、島ヶ原を過ぎると人里に出てきます。

次の伊賀上野駅は観光地なので、けっこう降り、列車の中は閑散としてきます。佐那具駅で降りたのは私を含めて2人だけでした。駅に降りると雪が残っていました。昨日は雪だったそうです。どうりで寒いはずです。

帰りは佐那具から1両編成の列車に乗って帰ってきました。

昔のインターネットは実名文化だった

facebook201103.jpg雑誌などで新しい実名情報社会がやってきたとFacebookなどの特集が始まっています。インターネットでは匿名文化が中心でしたので、新しいと言われていますが、昔のインターネットは実名文化でした。

1984年、実験ネットワークとして始まったJUNETが日本のインターネットの元祖です。接続していたのは大学やIT企業で、当然使っているの
は技術者や先生が中心となりました。匿名を使うという考えさえもなく最初から実名でメールや掲示板に記事を出す時は署名をつけるのが基本でした。

メールはサーバーを次々に送っていくバケツリレー方式でしたので、会社や大学のネットワーク図が公開されていました、今から考えると実に牧歌的な
時代です。現在も同じですがインターネットの運営に管理主体はありません。技術的な要件や運営的な要件は提案者がドラフトをまとめRFP(Reqest
For
Comment)を発行します。いろいろなコメントが寄せられるので、それをまとめて、最後に参加者による投票となります。参加者は当然、実名です。

文化的衝突が起きたのが1993年。ハンドル名(匿名)が当たり前だったパソコン通信Nifty-ServeとPC-VANがインターネットに接
続されメールのやりとりができるようになってからです。掲示板上で今まで通り実名を使うべきだ、いやいやハンドル名でよいと文化的論争が起きました。結果
は皆さんご存知のとおり匿名文化の隆盛となりました。

ソーシャルネットワークでまた実名文化が登場するのを見ているとワンサイクル回ったのかなという気がします。

Let's Note J-10に切り替え

letsnote.jpg行ったり来たり移動がけっこう多いので、ずっとLet’s
NoteのRシリーズを使っています。R7のハードディスクの音が大きくなってくたので、そろそろやばいかなと新型を買いました。以前のRシリーズはなく
なってJシリーズになっています。しかも最新の春モデル(J-10)を買ったので高かった!

ハードディスクではなくSSD(フラッシュメモリードライブ)にしましたので、ハードディスクのアクセスする音もなく静かですね。しかも128GBもあります。

とりあえず環境を変えたのでメール設定のやり直しなどが大変!とりあえずネット接続までできるようにしました。30年前、最初に買ったパソコンは
MacSEで当時は50万円もしました。ハードディスクはついていましたが40MB。あの当時は40MBもあれば十分だったし、フロッピーでバックアップ
すればよい時代でしたあ。