藤堂高虎・京極高知陣跡

藤堂高虎・京極高知陣跡

福島正則陣跡の後ろに布陣した第二陣にあたります。一緒の陣跡になっていますが、それぞれ3千ちかい兵を擁していたので隣同士で布陣していました。藤堂高虎は黒田長政とともに西軍の切り崩し工作を行い、家康の勝利に貢献します。七度、主君を変えたとよく言われますが、戦国時代、転職は当たり前。藤堂高虎は豊臣秀長(秀吉の弟)には心酔していたようで、よく仕え、亡くなってからも養子を支えました。身長が190cmほどだったとも言われています。

■京極高知
京極高知は近江佐々木家につながる名門です。兄が京極高次で大津城に籠り、立花宗茂ら西軍を釘付けにして関ケ原の戦いで兵力を減らす貢献します。京極高知は藤堂高虎と大谷隊と激突して功をあげ、宮津藩の初代藩主となります。京極氏の紋は平四つ目結で、目結紋系を持つのは佐々木氏の末裔になります。

■白餅
藤堂高虎の紋は「城持ち」をかけた3つの白餅です。若く金がない時に三河・吉田宿の茶屋で餅を無銭飲食し、事情を聞いた店主から路銀までもらって助けてもらいました。この恩を忘れず餅を旗印にしてがんばり、大名になった時に茶屋を訪れ餅代を返却しました。講談「藤堂高虎、出世の白餅」などで有名な話ですが、あながち創作でもなく、津藩の参勤交代では藩祖にあやかって吉田宿で餅が献上されていたようです。

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