マイナンバー制度が企業に与える影響

  • 来年の10月から各個人にマイナンバーの通知が始まり、2016年1月から運用が始まります。中小企業はもちろん、アルバイトを雇っている個人事業主も対象になります。 

    企業が従業員の税金などを申告する場合にマイナンバーの記載が必要となります。また扶養控除がありますので従業員本人だけでなく扶養家族のマイナンバーを把握しないといけません。 

    源泉徴収票、支払調書、健康保険・厚生年金保険被保険者資格取得届など、数多くの書類についてマイナンバーが必要となります。士業やセミナー講師に報酬等支払いをした時の源泉徴収にもマイナンバーが必要。 

    自社でシステムを組んでいると、システム変更などが必要となりますので、来年には準備しないといけないんですが、ほとんどの企業は必要性に気づいていません。昨日も相談に来られた企業さんに「マイナンバー制度の準備はされていますか」と聞いてみたら、「何ですかそれ」と言われてしまいました(笑) 

    法人の場合、社会保険の加入は必須ですが加入していない事業所も多く、マイナンバー制度がはじまると未加入がばれてしまいます。この影響が一番大きいかもしれません。 

    というわけでAll Aboutの最新ガイド記事です。 

    ▼マイナンバー制度が企業に与える影響 
    http://allabout.co.jp/gm/gc/442953/

ローマ字の日

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    きょう、5月20日は「ローマ字の日」。 

    日本ローマ字会という団体があり設立は明治18年。戦時中は特高にマークされ、戦後はGHQから国粋主義者とみられ、暗殺されそうになったなど、いろいろと秘話があります。過去の参加メンバーをみると寺田寅彦や各大学の学長、著名人など綺羅星のごとく名前がならんでいて、日本ローマ字会の最後の会長が梅棹忠夫先生。 

    梅棹先生には知的生産の技術研究会の特別顧問をおねがいしていた関係もあり、私も10年ほど社団法人日本ローマ字会の理事を担当していました。公益社団法人化にともない本部が京都から東京へ移動することとなって、ようやく理事をお役ごめんになりました。梅棹先生はエスペランティストであり、日本語の国際化にはローマ字運動が必要だと、晩年はローマ字運動にとりくんでおられました。 

    ●漢字の中国が隣国だった 
    日本は7世紀から9世紀にかけて漢字をとりいれましたが日本語は50音だけの言語で正確な中国語ではなく、なまった音を導入しました。これが「音読み」になっています。また意味をあらわす「訓読み」の2つの読みかたを併用しました。 

    梅棹先生によれば漢字を借用した国のなかで、こんなことをしたのは日本だけ。ベトナムや韓国でも漢字を導入しましたが読みはひとつだけです。日本では国語を学習するのに必要な時間が10倍にはねあがり、自分たちの言語を学ぶのに数年をようする状態になっています。 

    日本は大国・中国のとなりに位置したがゆえに、本質的に構造のことなる漢字を導入し、とんでもない運命にひきずりこまれました。お隣の韓国はチベットから伝わったモンゴル(元)のパスパ文字を使って、ハングルを14世紀、15世紀頃に成立させましたので、この事例に学ぶべきだともよくおっしゃていました。 

    ●索引がない学術書は読む価値がない 
    梅棹先生がよくおしゃっていたのが索引の重要性。欧米なら簡単にできあがってしまう索引が日本では作れず、梅棹忠夫全集の索引をつくるのにも1年かかったそうです。 

    まず単語の読みかたがわかりません。とくに人名は絶望的で、東(あずま)なのか東(ひがし)なのか本人に確認しなければ読みかたがわからないような名前は、ほかの国にはありません。欧米で索引がない学術書は、読む価値がないとされますが日本では索引のない学術書がおおくあります。 

    また日本語には同音異義がおおく、聞いただけでは理解できない言語になっています。例えば科学と化学がありますが、化学(ばけがく)とよめば同音意義語が減り、留学生や日本に興味のある人にとって学びやすい言語、つまり国際化できるとよくおっしゃっておられました。 

    漢字を入力する時にローマ字仮名変換していますので、ローマ字を入力した時点で漢字変換しなければ、ローマ字文章になります。さすがにローマ字は読みづらいので、なるべく同音異義語を使わず漢字も極力へらした平易な文章をかくように心がけてはいるんですが、むずかしいですね。 

    写真は知研関西とローマ字会の共催で梅棹先生に「21世紀版 文明の生態史観」でお話しいただいた時のものです。

岸の砦跡(有岡城)

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    大河ドラマ「軍師・黒田官兵衛」。黒田官兵衛が謀反を起こした荒木村重を説得に行き、反対にとらえられ土牢に押しこめられてしまいました。これから黒田家にとって苦難の時代になります。大河ドラマでは荒木村重を大局を理解できない人物のように描いていますが、けっこう勝率が高い戦いだったようで、毛利がもう少し動けば、状況がどうなったかは分かりませんでした。 

    有岡城の戦いは長引き、1年以上にわたる籠城戦となります。長い籠城戦となったのは伊丹の街を取り囲んだ惣構えで、これが鉄壁の守りとなりました。惣構えとは城のほか城下町一帯も含め堀や土塁で囲んだもので、後では大坂城や小田原城でも築かれましたが、有岡城が最古の惣構えのようです。 

    JR伊丹駅から阪急伊丹駅の伊丹バルが行われるあたりが惣構えにすっぽり入っています。有岡城・本丸はJR伊丹駅のすぐ西側にある有岡公園で、遺構はあまり残っていません。遺構が比較的に残っているのが岸の砦跡。惣構えの北曲輪になっていました。現在は猪名野神社になっていますが、石垣跡や土塁跡が残り、 本殿裏から続く散策道は外郭濠跡でした。写真の地図では一番上のとがっているあたりが岸の砦です。

半世紀にわたり走る鮮魚列車

sengyo201405.jpg近鉄が行商用専用列車を走らせています。これが鮮魚列車。伊勢の宇治山田駅と大阪上本町駅を結んでいて、一般の乗客は乗れません。 

朝は三重県の漁港から早朝に揚がった海の幸を持った行商人を奈良や大阪へ運び、帰りは大阪から伊勢へ戻ります。鮮魚列車が始まったのは昭和38年。ですので半世紀にわたって走っている列車です。三両編成で先頭には白い帯が入っていて、ロングシートタイプ。昔はたくさんの行商人が乗っていたんですが、今は10人ぐらいですね。 

昔はいろんな私鉄で走っていましたが、国内で運転されている鮮魚列車は近鉄のみとなっています。時刻表にも乗っていませんのでドクターイエローみたいな電車ですが、早朝または夕方に運がよいと鮮魚列車を見かけることができます。 

早朝、鶴橋駅に急行が着くとビジネスマンの横をドヤドヤと竹カゴを持った人が降りていきます。大阪近郊から鶴橋の市場へ買い出しに来た小売商なんでしょうね。魚屋さんかなあ。 

日本一低い天保山を登頂

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    夕方から大阪港にあるホテルシーガルてんぽーざん大阪で大阪府中小企業診断協会の総会でしたので、その前に天保山を登頂してきました。 

    登頂といっても標高4.53メートルですので知らない間に登頂しています。近くに大阪湾が見れる見晴台があるのですが、こっちの方がよっぽど高いです。日本一低い山だったのですが仙台市にある日和山(標高3m)に今年抜かれて、2番目に低い山になっています。 

    ちゃんと山岳会があり、登頂証明書を発行しています。山岳救助隊もあるんですが設立以来、救助要請はないそうです。(笑) 

    さて大阪府中小企業診断協会の総会ですが、会員891名に対して91名が参加。もっとも総会後の懇親会には100名以上が参加していました。ラストは一本締めではなく、大阪らしく大阪締めで終わりました。

日本中世の自由と平等 全講座が終了

gacco20140516.jpg日本版Mooc(無料オンライン大学講座)であるGacco。4月14日に開講した「日本中世の自由と平等」(東京大学史料編纂所 本郷教授)を受講しています。 

最終が「中世の平等について」でした。毎回、講座が終わると四択の確認テストみたいなのがあるんですが最終講座では四択以外に、「日本中世における自由・平等・平和」のレポート問題がありました。 

締切がこの日曜でしたので、今日、講座を受講して、ようやく先ほどレポート提出。大学時代はこんなに一生懸命、レポートをやらなかったですなあ(笑)最終講座では、ようやく織田信長がでてきましたが、信長の前に信長のように権威をぶっこわそうと考えた人物がいて、それが細川政元。こんな人物がいたんですねえ。 

とりあえず「日本中世の自由と平等」の全講座は終了です。次回は日本のインターネットの父である村井教授の講座が始まるので、こちらも受講しなければ! 

信長の妹が城主夫人だった小林城(名古屋)

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    名古屋の若宮大通(100メートル道路)を「みそかつ」で有名な矢場とん本店がある矢場町からランの館の方に歩いていくと下り坂になっています。台地の端の高台になっており戦国時代、ここに小林城という城がありました。テレビ塔などがある久屋大通公園の端で、大須商店街の近く。現在は清浄寺という寺になっています。 

    城主は尾張守護だった斯波氏一族である牧氏の城。織田氏に属してこの地域を制圧していました。城主(牧長清)夫人は織田信長の妹でお市の方の姉にあたり、美人のほまれが高く人々から小林殿と呼ばれていました。母親は織田信秀の妹ですので、信長のおばさんになります。織田家と縁が深かったんですね。 

    城主・牧長清は信長に従って、どう戦ったか伝わっていませんが桶狭間の戦いでは丹下砦を守備していたようです。諸国の山に登ることが好きで富士山には3回登っています。大須商店街に富士浅間神社がありますが、ここを再建したのが牧長清。 

    牧長清が亡くなった後、廃城となり尾張藩主徳川光友の剣術師範を務めた柳生兵庫の屋敷となり、元禄時代に清浄寺となったようです。境内には城主夫妻の墓もあります。 

知の拠点あいち

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    あいち産業振興機構、三重県産業支援センター、岐阜県産業経済振興センター、名古屋市新事業支援センター、東海地域の支援機関が集まった会議。今回で25回目になります。 

    会場は知の拠点あいち。名古屋駅から東山線で終点の藤が丘駅へ出て、そこからリニモに乗り換えて陶磁資料館南駅へ。住所は豊田市になります。もともとは愛知万博があった場所で、遠かったですね。 

    知の拠点あいちにあるのが「あいちシンクロトロン光センター」。電子を光速近くまで加速させ、取り出したシンクロトロン光をいろんな物質にあてて分析をしています。加速器の施設を見せてもらいますあが大きかったですね。 

    見学会が終わってから会議。今日は愛知と岐阜のよろず支援拠点コーディネーターが参加されていましたが、まだまだ手さぐり状況のようです。6月にはよろず支援拠点がスタートします。会議終了後は名古屋駅へ戻って、百楽で懇親会。料理はなかなかおいしかったですね。

お菓子のミニ博覧会

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    Nifty-Serveにあった中小企業診断士・勉強会の延長線上で年1回集まるイベントがあります。今年は奈良で開催。昨日は夕方から仕事だったので残念ながら途中で帰ったのですが、今日は朝からフル参加。私以外の皆さんは奈良に泊まり込みです。 

    近況報告や来年の開催場所などを決めるミーティングがあるのですが、恒例となっているのが全国から各自が持ち寄るお菓子の山。北海道・十勝のキャラメルやら「ふなっしー」のクッキー。名古屋からは金鯱ゴーフレットなるものもありました。お菓子のミニ博覧会ですね。私はこないだトロントで買ってきたチョコレートのお菓子を持ち込みました。これをボリボリ食べながらのミーティングで、これだけでおなか一杯になります。(笑)

奈良へ

nara20140510.jpg奈良へ。

近鉄で西大寺駅を過ぎると平城京跡が見え、復元された大極殿、朱雀門、遣隋使船が車窓から見えます。東院庭園の真向かいにはイトーヨーカドーが見えますが、昔は奈良そごうの建物でした。豪華絢爛な隠し会長室があったことで有名です。

平城京時代から一等地で、当時は長屋王の邸宅跡。ですので「そごう」が破綻した時には長屋王の呪いだと、まことしやかに噂が流れました。

近鉄奈良駅で古くからの診断士仲間と合流し、駅から徒歩すぐの野菜ダイニング「菜宴」で昼食。日替わりがなかなかよかったですね。夕方から仕事が入っていたので途中で抜けて、大阪へ戻ってきました。