半日ドッグ

法善寺横丁
朝から近くの病院へ半日ドッグに行っていました。
独立以来、年に1回、健康診断を受けるようにしています。37,800円は痛いんですが、個人事業主は体が資本ですので、体にガタがきていないかチェックするようにしています。ですがバリウム飲んでゴロンゴロンするのはしんどいですね。土曜の午前中なので少し混んでいましたが、昼過ぎには終了。
健康診断も終わったし、夕方からは千日前へ出て、ファイティングコンサルタンツの面々と宴会。法善寺横丁のすぐ近くにある牧水というお店です。3時間飲み放題のコース料理で5000円はなかなかリーズナブルですね。結局、3時間以上宴会をしていました。

事業可能性評価委員会

事業可能性評価委員会
名古屋市新事業支援センターで事業可能性評価委員会が開催されました。
事業可能性評価委員会とは応募事業者の事業プランに対し審査を行い、成長性・将来性が高いと認められた事業プランに対し、継続的な支援を行う事業です。今日は外部専門家で構成された評価委員でのプレゼンでした。
応募企業についてはマネージャが担当となりプレゼンのお手伝いをします。私も2社のお手伝いをしたのでオブザーバーで委員会に参加していました。
事業可能性評価委員会でよい評価を受けると9月26日に行われるビジネスプラン発表会で発表が行えビジネスマッチングの機会が得られるのと、は東京や大阪で行われる展示会への出展補助(小間料と装飾等経費の一部を補助)が行われます。
東海地域では愛知県、岐阜県、名古屋市で行われています。都道府県等中小企業支援センターが全国に設置された時にできた事業ですが、三重県だけは全然やっていませんね。

百五銀行

百五銀行
津の実家から三重県産業支援センターまで30分歩いているんですが、途中にあるのが百五銀行本店。岩田川のすぐ横に建っています。
古いビルで耐震性の問題があるし、岩田川の水位があがると、よく店舗に水が流れ込んでいました。中心市街地に移転することとなり、今、新しいビルを建てています。移転場所は三重会館の前で昔、ジャスコがあった跡地。基礎工事前に津城の内堀の石垣が見つかったのですが、ぶっ壊して工事をしてしまいました。(泣)本店の隣でも工事をしていて、こちらは営業店を作っているそうです。
百五銀行はナンバー銀行で明治時代は第百五国立銀行。ナンバー銀行というのは設立順に番号をつけた明治の国立銀行で、第一国立銀行は第一勧業銀行から、現在のみずほ銀行になっています。
松阪市には第三銀行がありますが、こちらはナンバー銀行ではなく、熊野市で誕生した合資会社がスタート、途中で第三相互銀行となり、ここから第三銀行となりました。三重には他に四日市本店の三重銀行があり、地方銀行が三行ありますが、地域No1は百五銀行になります。
津には、みずほ銀行と三菱東京UFJ銀行(昔の東海銀行)がありますが、三井住友銀行がなく不便しています。

インターネット講座の終了証が届く

>gacco
MOOC(大規模オープンオンライン講座)の日本語版Gacco.。
「日本中世の自由と平等」東京京大学 史料編纂所 本郷教授の講座を受講した後に「インターネット」慶應義塾大学 村井教授の講座を受けていたのですが、こちらも無事に終了し、終了証が届きました。講義の内容と小テストの内容があまり連動していないため、調べまわらないと回答できない難関講座で苦労しました。
6月はちょっとバタバタしたので、「インターネット」の後の講座は受講してませんが、これから開講される
「歴史都市京都の文化・景観・伝統工芸」(立命館大学)
「マンガ・アニメ・ゲーム論」(明治大学)
は面白そうですね。
「戦国時代の山城を考える」という講座、ないかなあ(笑)

あとの祭り 関の山

綾傘鉾
京都では祇園祭がスタート。
今年の見どころは「あとの祭り」の復活。山鉾巡行が毎年17日(木)に行われますが、これは昭和41(1966)年から一本化されたもので、それ以前は前祭りと後祭りに分かれていたそうです。って50年も前の話なんで、後祭りは見たことはないんですが(笑)
後祭りの巡行は前祭りの1週間後24日(木)に行われます。前祭は23基が巡行、後祭は10基が巡行しますが、後祭りの一番最後に登場するのが大船鉾。幕末に長州と幕府・薩摩郡が激突した「禁門の変」の時に燃えてしまい休み鉾になっていたのを復活するそうです。蛤御門の変という言葉が出てくるのは、いかにも京都らしいですね。
「今さら悔やんでもあとの祭りだ」と言ったりしますが、この語源が祇園祭というのが有力だそうです。祭りにまつわる言葉としては「関の山」もあります。これは三重県関町の祭りに出る山が立派で、これ以上の山は作れないだろうということから、限度を「関の山」というようになりました。
祇園祭では綾傘鉾の棒振り囃子が好きなのですが、こちらも江戸時代の大火で鉾が燃えてしまいましたので、現在は棒振り囃子の形で祭りに参加しています。曳き鉾での復活が望まれますね。

ITC維新会361勉強会

ITC維新会
森ノ宮にあるアネックスパル法円坂という難波京の跡に建てられた会館でITC維新会361 第23回勉強会。
だいぶ前にインストラクターを担当したITコーディネータ研修生を中心に作られた勉強会です。幹事の尽力もあり23回も続いているのはすごいですね。時間がある時はなるべく参加するようにしています。
皆さん、ITベンダーでバリバリに活躍されている方ばかりなので現場のいろいろな情報が入るのがありがたいのです。発表が4本あったのですが興味深かったのが同志社女子大学の加藤先生のお話し。ICSBという中小企業を研究する国際組織があり、その日本委員会の副委員長を勤められています。大学の先生が中心になった組織で60ケ所以上にあるそうです。
日本全体の情報分野の開業率は4.7%で廃業率は6.7%あります。これを都道府県単位で分析されたデータを発表されていましたが、地域によっていろいろと特徴があるんですねえ。

信長が2度攻めて落とせなかった高岡城

高岡城
鈴鹿にある高岡城跡。鈴鹿川沿いの標高50メートルほどの高岡山に築かれた山城です。
ここは信長の伊勢侵攻を2度もくいとめた城です。城主は神戸友盛の家老である山路弾正。滝川一益を大将として信長が攻めてきましたが、城はなかなか落ちません。
美濃三人衆の謀反の動きが出てきたこともあり、信長は兵をひきます。翌年にも攻めましたが落ちません。仕方ないので信長は三男・信孝の養子を条件に和睦をすることとなりました。織田信孝は神戸家に入り神戸信孝と名乗りますが、北畠などと同様に結局は信長に乗っ取られます。
高岡城から川向こうを見ると楠城が見えます。直線距離は1.8kmほど。反対側の方にあるのが采女城で、こちらも3kmしか離れていません。楠城、采女城ともに滝川一益に攻め滅ぼされましたが、高岡城からよく見えたでしょう。
郭跡と堀跡が残っています。

徳川家康が攻め落とした丸根砦

丸根砦
大高城がのぞめる小高い丘の上にあるのが丸根砦。鷲津砦と共に織田信長が大高城を封鎖するために築いた付城です。
砦を守っていたのは佐久間盛重。松平元康(後の徳川家康)が率いる岡崎勢に攻め寄せられ、佐久間盛重は清州城の織田信長へ急使を送ります。
そして、「人間五十年、下天のうちをくらぶれば夢幻のごとくなり」と敦盛の一節を舞い、茶漬けを食べながら、「螺(ほらがい)を吹け、具足をよこせ」と映画やドラマでよく描かれる信長が出陣していくシーンとなります。
清州城を飛び出した信長は熱田神社で兵がまとまるのを待ち、大高方面へ進軍。やがて信長の目には丸根砦と鷲津砦の陥落を告げる二筋の煙が上がるのが見え、善照寺砦に向かいます。
佐久間盛重らが玉砕した丸根砦ですが、今は住宅地の中に郭跡などが遺構として残っています。もっともマニア以外には単なる土の広場なんですが。

家康が捕虜生活を脱した大高城

大高城
日が長くなってきたので、名古屋市新事業支援センターでの窓口相談が終わってから東海道線に乗って大高城跡に行ってきました。
住宅街の中にあるこんもりとした小山が大高城跡。「大高城跡公園」という矢印のついた小さな看板の所を曲がり民家と民家の間を通る細い路地を登ったところにあります。看板がなければ、絶対に気づきません。
大高城は桶狭間の合戦の前哨戦が行われたところです。大高城は今川義元が奪った城で尾張の最前線。織田信長は周りに砦を築いて対抗します。戦国時代は城のすぐ近くが海岸線でしたが、この海からの補給を砦網で塞いでしまい大高城は孤立してしまいました。
そこで今川義元が大高城を救援するために起こしたのが桶狭間の合戦の発端と言われています。この時、徳川家康が大高城に兵糧を入れる役目を命じられ、丸根砦を落として、見事に兵糧入れに成功します。
やがて大高城へ届いたのが今川義元が織田信長に敗れたという知らせ。撤退して岡崎城へ向かうことになり、家康にとっては、長い捕虜生活から開放され新しい門出となった場所となりました。

日本一短い商店街にある福助

福助
日本一長い商店街は天神橋筋商店街、反対に日本一短い商店街も大阪にあって、それが肥後橋商店街。1分もアーケードを歩けば、商店街を抜けてしまいます。
この商店街にずっとあるのが福助。昼は定食や丼のお店で、夜は居酒屋になりますが、基本的に料理はおまかせになります。東京から知り合いが出てきたので、パソコン通信時代からの仲間が集まって久しぶりに福助で宴会。パソコン通信時代からよく福助を利用していました。
お店は普通の定食屋さんなんですが、宴会では希望にあわせて変わった鍋が出たりします。今回は本当のおまかせで、何が出てくるか分からず、いろいろな料理を楽しめました。
ここの名物がお店のおばちゃん。このおばちゃんに会うために通う常連も多いお店です。