10年間続く、中小企業診断士の研究会

fight201203.jpg昨日は中百舌鳥駅前にあるセレソヴィー株式会社でファイティング・コンサルタンツの研究会。今年、10周年を迎える研究会です。プロレス好きの中小企業診断士が命名しました。

最初の数年は大阪駅前ビルを会場にしていて、コンサルティング・ファーム(コンサルが集まった集団)を目指していました。私は割りと初期の頃から参加。研究会から独立して実際にコンサルティング・ファームを作ったメンバーもおりました。

やがて路線変更して、財務格付けや中小企業診断士の実務ポイント取得などいろいろな事業を行うようになり、会場も谷町四丁目のエンクルや天満橋の会計事務所に変更。

現在は研究会の代表が社長をしているセレソヴィー株式会社に拠点を移して続けています。メンバーがかわったり、いろいろ紆余曲折しながら現在も続いています。

古布の世界は古書と同じ

iga201203.jpg朝から伊賀上野の企業を4社、まわってきました。

その中の1社が古布を扱うお店。古布は、なかなか奥深い世界です。お店には時たま着物などを捨てるので見に来てと連絡が入るのですが、まず買い取
るような品物は出て来ないそうです。値打ちがあるのが江戸時代の縮緬や東北地方でよく使われていた夜着、使い古した野良着、年季が入った酒袋など。

こんなモノと思って皆が捨ててしまうものが高いそうです。反対にきれいな着物などはほとんど値打ちがありません。ただし、時代によって流行り廃りがあるそうで、話を聞いていると初版本ブームなどがあった古書の世界と同じですね。

また仕入れが勝負というのは古書と一緒です。このお店では京都の業者市などで仕入れていて古物商の業者が集まり競りが行われます。店を持たず、地方を回って商品を仕入れ、業者市で売っている業者もいて、こうなるとまったくセドリですねえ。

デスクトップでばれる会社のレベル

「マイコンピュータ」、「マイドキュメント」、「エクスプローラ」は全て同じソフトだと言うと、驚かれることがあります。あまり知られていないんですね。

3S(整理・整頓・掃除)がよく言われ、机やキャビネの整理・整頓は当たり前ですが、パソコンの整理・整頓は社員任せがほとんど。デスクトップにアイコンがどれぐらい並んでいるかで会社のレベルが分かってしまいます。

ということでAllAbout「企業のIT活用」最新ガイド記事です。

▼デスクトップでばれる会社のレベル

http://allabout.co.jp/gm/gc/391415/

グリコのオマケで売る

三重県産業支援センターで朝から夕方まで技術評価会

ベンチャー企業10社の技術評価(市場性や実現性についても含みます)を外部に委託しており、今日は委託した先から発表会がありました。もちろん企業の社長さんも参加。あわせて三重県産業支援センターのコーディネーターには興味のある企業の説明に出るようにお達しがあったんですが、私には後でフォローしないといけないから朝から夕方まで出ろというお達し。(笑)

さすがに10社の説明を聞くのは疲れますね。午前4社、午後6社、説明や質疑応答で1社30分の入れ替わりです。午前は遅刻された社長さんがいて、昼休みまで時間がずれこんで、お昼ごはんが危なかった。(笑)

様々な技術と様々な戦略で日々戦っているベンチャー企業で、大手が出てこないニッチに事業ドメインをあわして戦うなど面白かったですね。その中で、自社製品をグリコのオマケとして売っている企業がありました。自社商品だけを売るのではなく、他社から商品を調達し、そこに自社商品を組み込んで売っています。この自社商品がグリコのオマケになり、お客さんにとっては付加価値になります。どうせ買うならとなります。なかなかうまいやり方ですね!

デスクトップはクリアデスクが基本

整理・整頓の基本はクリアデスク。帰社時に机の上に書類を置かず、きちんと片付けられた状態を言います。大企業では徹底されていますが、ほとんどの中小企
業ではできていません。また大企業でも物理的な机のクリアデスクはできていてもパソコンのクリアデスクはできていません。

ある中小企業でデスクトップにあるアイコンの数を数えたら130を超えていました。どうやってファイルを探すのかと聞いたら、アイコンの位置で覚えているそうです。(笑)一人でならかまいませんが、これでは共有フォルダーで他の人と仕事をすることはできません。

いろいろと原因を探ると、階層構造がよく分かっていないようです。考えてみたら大学の情報処理教育でも新入社員教育でも階層構造やエクスプロラーの使い方を教えていません。教えにいっている京都橘大学では一番はじめの講座で階層構造や拡張子について教えています。

MS-DOSの時代は階層(ディレクトリー)が分からなければ、なんともならなかったのですがアイコンを代表とするGUIが登場し、階層構造が分からなくってもなんとなく使えるという時代になってしまったんですね。

三重県には情産協がない

東京のITベンダーから三重県産業支援センターに電話がありました。三重で協業できそうな地元のITベンダーについて教えて欲しいという内容でしたが、最初の質問は、”三重県には情産協はないんですか?”

これが不思議とないんですよね。

情産協というのは情報産業協会の略で、地域の情報通信産業の発展を目的とする団体で、地域のITベンダーが集まっています。昭和の時代に全国的に作られたのですが、三重県ではなぜか出来ませんでした。

関西にはない県もあるのですが、東海地域では三重県だけありません。地域のIT業界については情産協に問い合わせると、大概答えてもらえるのですが三重県にはないので、三重県産業支援センターに問い合わせてきます。ところがIT担当は私だけ(笑)

来年度は週に1日程度しか支援センターへ行かないのですが、大丈夫かなあ。

尾鷲へ

owase20120305.jpg大阪から近鉄で松阪駅へ。三重県経営者協会の担当者の車に便乗させてもらって尾鷲の企業へ行ってきました。

厚生労働省に最低賃金中小企業相談支援事業というのがあって、三重県では三重県経営者協会が受託しています。県内4ケ所に相談所があり、南は尾鷲相談所からの依頼です。こんな事業があるとは、こないだまで知りませんでした。(笑)

IT相談を行ない、津へ戻ってきました。

尾鷲の手前に新しいインターができており、3月20日に開通すると大きく書かれていました。紀勢自動車道の海山インターチェンジで、海山から尾鷲北インターチェンジまでが結ばれます。利用は無料で、峠を超えなくても尾鷲に入ることができます。これは楽ですね。

東紀州地域は国道42号線しかなく、この道路に何かあると陸の孤島になってしまいます。2004年9月の大雨ではJR紀伊長島駅近くの鉄橋が流さ
れ、国道42号線が寸断。尾鷲の隣の相賀が大きな被害を受け、船で尾鷲に届いた救援物資を尾鷲の人が担いで、歩いて馬越峠(熊野古道)を越えて運びまし
た。緊急時tは熊野古道が生活道路になっていますが、ようやく代替えできる道路ができます。

尾鷲のはずれにあるのが中部電力の火力発電所。止まっていたのですが電力不足で再稼働しています。ただし老朽化しているため1基だけの運転です。写真で雲がかかっているのが馬越峠(熊野古道)。尾鷲は三方を山に囲まれ、もう一方は海という土地です。

デンキブラン

denkiburan.jpg金曜夜はNifty-ServeにあったFchiken(知的生産の技術)フォーラムのメンバーと宴会。連れていってもらったお店が恵比寿駅近くのプレハブ酒場。18時にお店へ行ったらお客さんは誰もいませんでしたが、だんだん混みだして、やがて満杯に。

お店には富士宮やきそば、沖縄ポークなど変わった料理がありました。おでんには黒ハンペンなるものがあり、初めて食べましたが変わった味でした。

ビールは赤星で黒ホッピーなどがありましたが、そんなメニューにあったのがデンキブラン。デンキブランは神谷バーで明治時代に生まれたブランデーをベースにしたカクテルで、度数が高く口がしびれるのとブランデーをあわせてデンキブラン。珍しいお酒を置いていますなあ。

森見登美彦の京都の古書市などが舞台となる小説「夜は短し歩けよ乙女」がありますが、李白という名前の金持ちの老人が出てきます。実に怪しい老人で、偽デンキブランの卸元などをやっていて小説のあちこちで、この偽デンキブランが出てきます。

デンキブラン、とってもおいしい味でした!

RedBall2012

redball201203.jpgAllAboutのガイドの集まりが年1回あります。AllAboutの赤ボールにちなんでRedBallと呼ばれています。今回で11回目。

去年から会場が変わって東京駅のすぐ横にあるグラントウキョウサウスタワー。

最上階の42階が会場なんですが、到達するには2階から23階まで
シースルーエレベーターに乗らなくてはなりません。けっこう速度が速く、しかも床までガラス張り。すぐ下に東京駅が見えて眺めがよいのですが、高所恐怖症
にとっては地獄の時間です。(笑)

RedBallでは江幡CEOの説明の後、いつものようにパーティで盛り上がりました。関西から参加していたのはテクノポップ・ガイドの四方さんとドラマ・ガイドの黒田さん。二人とも創業期からのメンバーです。

老舗ベッコアメを契約解除

bekkoame2012.jpg3月となり長らく使っていたBekkoame(現在はGMOグループ)との契約を解除。

1992年、日本初の商用プロバイダIIJが設立され誰もがインターネット接続できるようになりましたが、法人相手で個人ユーザーがインターネット接続するにはベラボウな金額がかかりました。

1995年にようやく個人向けプロバイダーであるBekkoameやリムネットが登場。さっそくBekkoameと契約しました。当時は電話をかけてモデムでインターネットに接続する時代で1分30円というのが定番でした。ウィンドウズ95が登場する以前の話です。

Bekkoameは初回登録料が1万円、年会費が2万円とリーズナブルでした。ただ安かったので色々なユーザーが飛びついて、アダルトなどで問題
になったりすると、すぐにBekkoameの名前があがり会社もよく捜査を受けていました。まだまだ法律が追いついていない時代でした。(今もですが)

接続した1995年の夏にHTMLを勉強して、簡単なホームページを作成。HTMLについて書かれた本も数冊しか無かった時代です。当時、個人でホームページを立ち上げているのが珍しくYahoo!カテゴリーにも知らない間に登録してもらっていました。

牧歌的な時代でしたね、ホームページビルダーもドリームウィーバもない時代でしたので、今だにホームページ作りはテキストで手打ちです。(笑)それにしても17年ほど使っていたんですね。