昨日は岡山で講座を行い、一泊して今日は朝から津山城を登っているはずだったのが、リモートになってしまいました。
結局、LEC梅田に行ってリモート講座をして終わり。先日のセミナーもそうですが、大阪から出る仕事が、すっかりなくなってしまいました。新幹線も長い間、乗っていませんねえ。どっか遠いところのセミナーの仕事でも入らないかなあ
昨日は岡山で講座を行い、一泊して今日は朝から津山城を登っているはずだったのが、リモートになってしまいました。
結局、LEC梅田に行ってリモート講座をして終わり。先日のセミナーもそうですが、大阪から出る仕事が、すっかりなくなってしまいました。新幹線も長い間、乗っていませんねえ。どっか遠いところのセミナーの仕事でも入らないかなあ
近鉄・桜井駅からまっすぐ南へ行くと谷という土地があり、ここの丘陵上に若櫻神社があります。戦国時代には城が造られ土塁跡がいまも残っています。
仁徳天皇の息子である第17代、履中天皇が皇后と磐余の市磯池で遊宴中に、桜の花が盃に落ちたことを機に宮を磐余稚櫻宮と名づけます。この谷にある若櫻神社ではないかと言われていましたが磐余池が発掘で見つかったことから、池ノ内の若櫻神社が濃厚です。
池ノ内の若櫻神社は磐余池跡から東に行った小高い丘の上にあります。階段を登ったところに社殿がありますが、大きな削平地が確保されており、城を造るには絶好の場所ですね。当時の大和朝廷はまだまだ安定していなかったので丘の上を宮にしたのかもしれません。磐余の市磯池は若櫻神社の東側にあった模様で、現在は田園地帯になっています。
尼子城のすぐ近くにあるのが藤堂高虎の生誕地で現在は公園になっています。
弘治2年(1556年)、藤堂高虎は犬上郡藤堂村の土豪・藤堂虎高の次男として生まれました。浅井長政、羽柴秀長、豊臣秀吉、徳川家康など一生に七回も主君を変えたといわれますが、当時は普通の感覚で、将来性がない主君は見限るものでした。ただ羽柴秀長(秀吉の弟)には気があったのか長く仕え、秀長が亡くなってから甥が継いだので、盛り立てますが、この甥も17歳の若さで死んでしまいました。もう武士をやめようと高野山に入りますが、惜しんだ秀吉が説得して復帰します。
■城の縄張りを規格化
藤堂高虎は巨体だったようで身長が190cmほどあったようです。藤堂高虎といえば城づくりの達人で江戸城、大坂城、今治城、伊賀上野城、津城などの縄張りを行いました。そして編み出したのが全国共通の縄張りです。戦国時代、防衛力を高めるために加藤清正の熊本城など複雑な縄張りが造られました。藤堂高虎は四角形で実用的な郭をつくり藩の政庁の用地を最大限使えるようにします。防衛は高石垣、層塔式天守、水堀、多聞櫓、枡形虎口などを組み合わせて実現します。
城の規格化ができたため生産性が向上します。江戸時代、国替えになっても城の作りはほぼ一緒ですので、すぐに使うことができます。
「チョー、ヤバい」婆娑羅大名である佐々木道誉の城が勝楽寺城です。佐々木道誉が家臣である高筑豊前守に命じて応安元年(1368年)に築城しました。戦国時代になると六角氏が支配したり、浅井長政側になったりと城主が変わり、最終的には永禄11年(1568年)に織田信長が攻めて落城しました。
勝楽寺横からひたすら山道を登っていくと勝楽寺城へ着きます。山上に広い削平地の郭がいくつも連なり、近江を一望できます。また畝状竪堀群がありました。眺めがよく荒神山越しに琵琶湖や竹生島、彦根城もよく見れます。
9月も後半というのに、毎日暑いですねえ。あと15度ぐらい気温が下がらないかなあ。
オンライン講義や打ち合わせもオンラインという比重が高く、家から一歩も出ていない日々もあり完全な運動不足。シーズンに向けてのトレーニングということで歩いて15分ほどにある枚岡公園をよく散歩しています。この枚岡公園から生駒山のハイキングコースがいくつか出ているのですが、標高280mまで登ったところに額田山展望台があり、大阪平野が一望できます。
最近は散歩がてら額田山展望台まで登って、ほとんどハイカーがいない額田駅に降りるコースが多いですね。まだまだ暑いので汗だくになりますが、サンダル履きで十分に登れます。
江戸の城下町造りのために掘られた小名木川、江戸時代に付け替えられた大和川など人の手にかかって整備された川は直線的になります。平城京造営にあわせて掘られたのが西堀川で現在の秋篠川になります。
物資を運ぶには船が最適でしたので平城京や薬師寺などの造営や西市に物資を運ぶ水路として使われました。西市船着場から物資を荷揚げして西市に運んでいました。薬師寺の塔や三笠山も見え風光明媚です。
豊臣秀吉の家臣だった増田長盛(五奉行の一人)が大和郡山城を整備することになり、秋篠川の流路やため池などを外堀に使うため秋篠川の流れを奈良口で東に90度曲げて佐保川につなげました。奈良口は九条公園の所で地図で見ると見事に曲がっています。
古代の西堀川(秋篠川)沿いには京奈和自転車道が走っており、2021年4月に京都嵐山~奈良~和歌山港まで180kmがつながりました。
今年も上半期が終わりました。というわけで夏越の祓へ。
顧客管理がしっかりしている枚岡神社では毎年、夏越の祓の案内を送ってきます。案内に入っている人形(ひとがた)に名前を書いて事前に神社に納めておくと6月30日にお祓いをしてもらえます。そちらは参加できなかったので日曜に枚岡神社へ行って茅の輪巡りをしてきました。
■水無月
夏越しの祓といえば「水無月」という和菓子を食べるのが定番ですが、京都菓子工業組合が商標登録してしまったので京都以外の和菓子屋さんでは、あまり見かけません。以前、和菓子屋さんが”何で伝統菓子を商標登録したんだ”と憤慨しておりました。
先日、久しぶりに桑名商工会議所へ行くと最寄駅の桑名駅が大変身。
すぐに駅の階段を上がろうと先頭車両に乗っていたのに、階段の位置が真ん中あたりに変わっていました。駅はとってもお洒落になっていて東西に自由に渡れる通路が作られ、JRと近鉄はそれぞれ分離されました。
三重県には珍しい近鉄とJRの共用駅があり、これが津駅、松阪駅、伊勢市駅になります。JRと近鉄で改札を共用している独特のシステムで他にはあまりありません。桑名駅もずっと共用駅だったのですが、これでなくなりました。
駅前の桑栄メイトが閉鎖となり桑名商工会議所へ行くには一度、下に降りて階段を登り直さないといけなくなり、不便になりました。
山城登りと酒ばかり飲んでいると誤解している人が多いのですが本職はITの専門家です。エヘン。
AIセミナーをやんなくちゃいけないのでScikit-Learn(サイキットラーン:Pythonの機械学習ライブラリ)を動かそうとラズベリーパイを起動すると、うんともすんとも言わない。おかしいな~あ、とパソコンでマイクロSDカードにインストールし直して起動すると無事に立ち上がりました。
もっともWindowsでPythonを動かせることが判明。結局、Windowsでサイキットラーンを使っていて苦労して立ち上げたラズパイは使わず(笑)。調べたら統計関数Rでもサイキットラーンが使えるんですね。
八木西口駅から少し南に行ったところに今井町があります。堀に囲まれた環濠集落で、称念寺を中心に作られた寺内町です。
戦国時代は町中で武装し、石山本願寺とともに織田信長と敵対していましたが、石山本願寺が信長と和議を結んだことから明智光秀と懇意だった堺の津田宗及の取り成しで信長と和議を結びます。信長も堺と同様に栄えていた今井を発展させた方が経済的においしいと考え武装解除を条件に和議が認めらます。信長自身が今井環濠に来たようで本陣跡が残っています。今井は堺と同様に自治権が認められ江戸時代を通じて発展していきます。
環濠集落を構成していた堀はだいぶ失われてしまいましたが、町の通りなどが微妙に曲がっていて堀跡が分かります。また堀跡や土塁の一部が南西角に残っています。観光客のお目当ては町屋巡りで、堀跡をひたすら歩いている酔狂な人間はおりませんなあ。