南海・堺東駅の南東にあるのが竹内街道の始点。
大坂・天満橋の渡辺津から熊野三山を結ぶ街道が熊野街道です。堺あたりでは西高野街道と一緒になっています。南に向かう熊野街道(西高野街道)から東に分岐して竹内街道がはじまります。竹内街道ができた古代は、海がかなり入り込んでいたので、このあたりが始点だったのでしょう。大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)などは海岸沿いに南北に築かれ、海から見えるランドマークでした。
南海・堺東駅の南東にあるのが竹内街道の始点。
大坂・天満橋の渡辺津から熊野三山を結ぶ街道が熊野街道です。堺あたりでは西高野街道と一緒になっています。南に向かう熊野街道(西高野街道)から東に分岐して竹内街道がはじまります。竹内街道ができた古代は、海がかなり入り込んでいたので、このあたりが始点だったのでしょう。大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)などは海岸沿いに南北に築かれ、海から見えるランドマークでした。
竹内街道は飛鳥と難波京を結ぶ道ですが、難波京からまっすぐ南にのびていた難波大道(朱雀大路)と交差していました。交差していたのが堺の金岡神社あたりで、付近には「大道町」の地名が残っています。この神社が難波大道の南端という説もあります。
難波大道は一部が発掘され幅19mあったようです。摂河泉(摂津、河内、和泉)の境が一部、直線になっていますが難波大道に沿っていたようです。難波大道の東側が河内国、西側が和泉国になります。金岡神社は大和絵を確立した巨勢金岡を祀る神社です。巨勢金岡は平安時代の人物で巨勢氏は武内宿禰の次男である許勢小柄宿禰を始祖とする氏族ですね。
飛鳥京と難波京を結ぶ最初の官道です。つまり国道1号線です。横大路が三輪山の南から葛城市の二上山まで東西にほぼまっすぐに設置され、竹内峠を越えてから難波に入り、古市あたりから、またおおむね東西にまっすぐな道になります。
というわけで古市駅から堺東駅まで竹内街道を歩いてみました。Googleマップが優秀で、ちゃんと道を教えてくれます。大体、3時間半で2万5千歩ほどになりました。古市古墳群から百舌鳥古墳群へ至るコースでもあります。もっとも古墳を見ても単なる森にしか見えませんが、知らんけど。
枚岡神社・秋郷祭2022 3年ぶりの開催です。
一番の見どころは枚岡神社への宮入のために麓の鳥居から急坂を登り近鉄・枚岡駅の踏切を超えるところです。電車の合間を狙って23台もの布団太鼓台を通過させないといけないので近鉄職員も大変。踏切を超えたところから、また急坂になっていて、これを1トンを超える太鼓台を担いでいきます。
祭りは10月14日、15日固定で、今年はうまく土曜にあたり、ラッキーでした。屋台もずらっと枚岡駅から額田駅まで並び、いつもの祭りの賑わいが戻ってきました。来週は石切さんのお祭りですねえ。
東高野街道は昔から戦の舞台になりましたが、その一つが教興寺の戦い。
三好長慶と畠山高政との戦いです。最初は畠山勢が有力で古市にある高屋城を奪還し、飯盛山城に籠城している三好長慶を攻めます。三好の本拠地である阿波から援軍が尼崎に到着し、三好長慶や松永久秀と郷亮右。教興寺に陣取る畠山方の紀伊国人・湯川直光(御坊にお城があります)と根来衆に攻めかかり、湯川直光が討ち死にしたことから総崩れになります。
教興寺の戦いで勝利した三好氏は、大和・南河内から畠山氏の勢力を排除し、松永久秀は大和に入って、反三好勢力の城を攻めます。敵対勢力の一つが筒井氏で大河ドラマ「麒麟がくる」で描かれていました。
街道をゆく 東高野街道
京都から高野山への参詣道として用いられた街道で、河内国にはいると北から南までまっすぐな道で少し微高地になっています。近鉄の安堂駅から枚岡まで3時間ほど歩きましたが、真っすぐな道です。
江戸時代、大和川の付け替えが行われるまで東高野街道のすぐ西側を大和川が流れていましたので、軍勢はこの街道を通るしかなく戦の舞台となりました。南北朝時代の四条畷の合戦が有名です。大坂夏の陣では京都から東高野街道を南下する徳川軍に向けて若江に出陣したのが若い木村重成です。大河ドラマ「真田丸」では白石隼也が演じていました。
対峙したのが藤堂高虎、井伊直孝です。東高野街道の西は湿地帯だったのですが、この横小路は生駒山から古道になっていて若江につながっていましたので、木村重成は、この道を狙ったかもしれません。藤堂軍の右翼を破りましたが井伊軍との戦闘の末に戦死します。この横小路をまっすぐ西に行くと木村重成のお墓があります。
新幹線から見える謎の看板「727」。よくテレビ番組などで話題になっています。727の正体は株式会社セブンツーセブンという化粧品や健康食品を製造、販売している会社。なんでも創業者が7月27日生まれだったのでセブンツーセブンという社名になったそうです。
本社工場があるのが大阪の柏原市で近鉄・安堂駅のすぐ近くにあり、端から「727」の看板がよく見えます。727は化粧品メーカですが、販路は美容室専売品なので、縁なき衆生でごぞいます。
街道をゆくシリーズ「暗越(くらがりごえ)奈良街道」
大阪環状線・玉造駅近くにあったのが二軒茶屋跡が起点で、ここから生駒山を暗峠で越えて奈良へ至る道です。もともとは難波と平城京を結ぶ道が元になっています。二軒茶屋跡から生駒山の麓の枚岡まで歩いてみましたが3時間弱というところですね。
当時の集落を通っていきますので玉造からいきなり南へ行って今里、深江、御厨、菱江、松原宿、枚岡と巡っていきます。けっこう複雑なんですがGoogleマップに街道が表示されるのと、ところどころ道標があるので迷うことはありません。
SRA関西支社は堂島グランドビルにありましたが、分室が古河大阪ビルにあり、こちらにいることが多かったですね。堂島グランドビルから信号を渡ってサントリービルの裏側(西側)にありました。地下街入口が古河大阪ビルの手前にあったので、雨の日はビル入口から10メートルほど走って地下街入口にたどりついていました。
堂島グランドビルのついでに古河大阪ビルを見に行ったら更地になっていました。なんでも地上40階建てのタワマン&ホテルが建つそうです。そういえばサントリーの隣にあった堂島ホテルもなくなってしまいました。
古河大阪ビルは地下1階に郵便局もあり便利でしたね。ただ古いビルなので冬は寒い。システム作りで徹夜していた頃、あまりの寒さからリスト用紙を体に巻いてみましたが、なんの保温効果もないことを発見した頃でもありました。
こう見えても若い時があり、新入社員で入ったのがSRA関西支社というITベンダー。堂島グランドビルにありました。久しぶりに前を通ったら建て替えか、リニューアルするのか1階を覆っていて中には入れませんでした。
当時は上新庄に住んでいたので阪急梅田駅で降りて地下街に入り、1kmほど歩いて地下から堂島グランドビルに入っていました。雨に濡れずに行けるのは便利でしたね。堂島グランドビルには富士通なども入っていたためか1階のオーム社の本屋は理数系の専門書が充実していました。雑誌「bit」と「UNIX MAGAZINE」を毎号買っていたなあ。同じ1階には第一勧業銀行があり、すぐ銀行に行けて便利。地下には紅茶の名店ムジカもありましたね。