山手線がストップ

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仕事&知的生産の技術研究会の総会があり東京へ。

山手線に乗って大崎駅へ着く手前でガタンガタンと振動が、なんだなんだと思ったら地震でした。けっこう揺れましたね。こりゃ復旧は難しいなと思って、とりあえず新宿を目指して歩きはじめました。

皆さん、ビルから出て避難しています。恵比寿ガーデンプレイスは山のような人が出ていました。小学校などは防災頭巾をかぶって親が迎えにきていました。歩いている間にも余震があり、地下鉄も全部ストップ。空には防災ヘリが飛び回り、異様な雰囲気ですね。新宿を目指し白金台、表参道、裏原宿などふだんは歩かない箇所を歩きました。東京の地理はよく分かりませんね。大阪みたいに碁盤の目にしておいてほしいなあ。だいたい、要所要所に地図がない。

迷いながら2時間ほど歩いて予約しておいたホテルへ。帰宅難民者から次々電話が入るようでフロントで満員ですと断り続けていました。エレベータが止まっているので非常階段で昇り降り。2階ですので助かりました。

絶対、中止だと思いましたが念の為に総会会場へ。事務局長だけがおりました。(笑)総会会場も懇親会会場もエレベータを使うので会場自体が営業停止になっていました。しょうがないので事務局長とさっきまで飲んでいました。24時間営業のお店なんで帰宅難民者が続々と。店内ではテレビで地震中継を放映中。

こういう時に携帯電話は全然、役だちませんね。公衆電話には長蛇の列ができていました。

うつ病にならない働き方

S10-12-02.jpg昨日は大阪産業創造館で知的生産の技術研究会・関西のセミナー。

作家の中森 勇人(なかもり ゆうと)さんにお話いただきました。愛知県経営者協会が会員企業を調査したところ「心の病」を抱えた従業員がいると答えた企業は87.7%。いまやうつ病は誰もがかかりうる普通の病気です。

「心が折れそうなビジネスマンが読む本」(ソフトバンク新書)の著者、中森さんに自身の体験も含め、うつ病の話をしていただきました。また予防法やまわりの対処法についてもうかがいました。

毎年3万人を超える自殺者が出る異常事態が続いていますが約60%がうつ病が原因と言われています。まさに死にいたる病です。

うつ病は突然発生し、気の持ちようや心の弱さで起きるものではなく、脳の中の神経伝達(セロトニン)がうまくいかなくなる機能異常によって起きます。ストレスが原因ですが、事業の失敗など悪い変化だけでなく昇進など良い変化でも発生するという話にはびっくり。環境変化がきっかけになるそうです。

発生したら、きちんと専門医の治療を受けることが一番。またストレスから遠ざかることが一番。休んだら他人に迷惑をかけるなど考え方をしないことが重要です。上司が絶対に言ってはいけない言葉が「がんばれ」で、これはさらにストレスを与えることになります。きちんと治療すれば治る病気です。ただし男性ホルモンが低下して起きるLOW症候群(テストステロン)がうつ病とよく似た症状を見せるため注意が必要。

セミナー終了後は、いつものように堺筋本町の座・和民で交流会

セミナーの様子です。
http://tiken-kansai.org/TS10/S10-12.html

梅棹忠夫先生追悼特集号

tiken201010.jpg知的生産の技術研究会の機関紙「知研フォーラム」が届きました。

今回の310号は、7月に亡くなられた梅棹忠夫先生追悼特集号。表紙の写真は若い梅棹先生と知研を立ち上げられた八木会長の写真です。

大宅荘一塾のメンバーだった八木会長が「知的生産の技術」(岩波新書)に出合い、知的生産の技術研究会を立ち上げましたが、梅棹先生には了解はとっていませんでした。

ところが岩波が出している雑誌「図書」に、知的生産の技術がよく売れて、その影響で京大カードが発売され、東京では熱心な人が知的生産の技術研究会を開いていて社会的な変化が起きていると書かれていて、あわてて梅棹先生の了解を得に京都へ向かったという話は以前、八木会長から聞いていたのですが、その前後の逸話も載っておりました。

知研関西は地元ということもあり、梅棹先生と接触する機会が多かったのですが、そこらへんの逸話は「知研関西と梅棹先生」として一文を掲載してもらいました。

知研関西と梅棹先生

知研関西へ梅棹先生に出席いただいたのは知研関西10周年記念セミナー(1997年)が最初。いらい、体調をくずされるまで知研関西と日本ローマ字会が共済で開催した「梅棹先生を囲んで語り合う会」で定期的にお会いしておりました。梅棹先生はエスペランティストであり、日本語の国際化にはローマ字運動が必要だと、晩年はローマ字運動にとりくんでおられました。

セミナー後の雑談になると百科事典のようにいろいろな話題がとびだし、学術的な話題には「へ~え」と感心するお話ばかりでした。とくに言語や探検の話が多かったですね。

●中国の周りをアルタイ語が取り囲んでいる
日本語はアルタイ語とふかい関係にあり、アルタイ語を使用しているのはトルコのチュルク語、モンゴル語、満州語、朝鮮語、そして日本語。モンゴル語の文法は日本語と同じ語順になっている場合がおおく単語を置きかえて日本語の語順でいえば通じるそうです。

この言語分布をみると、ぐるっと中国を取り囲んでアルタイ語族が並ぶかたちになります。中国語の言語体系は日本語と全然ちがい、同じ音の漢字がありますが四声で全部、区別しています。広東語にはこの声調が9つもあります。日本にも「はし」のような抑揚が変わる例がありますが、基本的に声調はありません。反対に日本語には五段活用がありますが中国語にはありません。中国語とよく似ているのはタイ語で声調が5つあります。チベットも同じで、つまりアジアでは中国・チベット・タイをアルタイ語族が取り囲んでいるような言語分布になっています。

●漢字を使っている中国が隣国だった
問題は中国が四大文明の一つの強国であったこと。日本は7世紀から9世紀にかけて漢字を取りいれましたが日本語は50音だけの言語で正確な中国語ではなく、なまった音を導入しました。これが「音読み」になっています。また意味をあらわす「訓読み」の2つの読み方を併用しました。

梅棹先生によれば漢字を借用した国の中で、こんなことをしたのは日本だけ。ベトナムや韓国でも漢字を導入しましたが読みはひとつだけです。これで千年間、日本はしんどいことになる国民的悲劇だとよくおっしゃっていました。日本では国語を学習するのに必要な時間が10倍にはねあがり、自分たちの言語を学ぶのに数年間を要する信じられない事態となってます。

日本は大国中国の隣に位置したがゆえに、本質的に構造の異なる漢字を導入し、とんでもない運命にひきずりこまれました。隣の韓国はチベットから伝わったモンゴル(元)のパスパ文字を使って、ハングルを14世紀、15世紀頃に成立させましたので、この事例に学ぶべきだともよくおっしゃていました。

●索引がない学術書は読む価値がない
梅棹先生がよくおしゃっていたのが索引の重要性。日本にも情報の蓄積はありますが、現在の日本語のままでは、必要な情報がタイムリーに引きだせません。自国語が正確に読んだり、書いたりできません。梅棹忠夫全集の索引を作るのにも1年もかかったそうです。欧米なら一瞬で出来あがってしまう索引が日本では作れません。まず単語の読みかたがわかりません。特に固有名刺は絶望的で、本人に確認しなければ読みかたがわからないような名前は、他の国にはありません。アメリカでは索引のないような本は、読む価値もないとされますが日本では学術書にさえ索引のないものが多くあります。

日本の文明を維持していくうえで、現在の言語体系では21世紀が乗りきれません。もっと表音化させていかないといけません。特に目を悪くしてからはラジオのニュースを聞くことが多く、同じカガクでは科学と化学の区別がつきません。そこで日常会話では「バケガク」と言って区別していますが、そういうことをやって表音化が進めるべきとおっしゃっていました。中国では四声があるので、同音異義は発生しませんが、日本では同音異義ばかり、聞いて分かる言語にしていきたいという考えです。

パソコンで入力する時に多くの人がローマ字仮名変換していますので、ローマ字を入力した時点でとめてしまえば、同音異義語ばかりとなるので、工夫して「バケガク」のように表音文字となり、留学生や日本に興味のある人にとって学びやすい言語、つまり国際化できるとよくおっしゃっておられました。

■「知的生産の技術」発刊30周年記念会
1999年7月「知的生産の技術」発刊30周年記念会を大阪の千里で開催。本を出版後、梅棹先生は海外にでかけていて日本でベストセラーになっていると岩波書店からの連絡は中東で受け取ったそうです。この会で「フィールドワークの先駆者はだれですか?」という質問に梅棹先生が答えられたのが鳥居龍蔵という名前でした。

後で本屋へ行くと、鳥居龍蔵伝がありさっそく買って読みました。鳥居龍蔵が生まれたのは明治3年。小学校を中退し、学歴はありませんが東京帝国大学の人類学教室の坪井博士に師事、やがて標本の臨時雇いに、えんがあって25歳で遼東半島へフィールドワークに派遣されます。これが皮切りでした。やがて結婚し、子供がうまれても、今度は家族をつれて蒙古へフィールドワークへ。当時は馬賊などが暗躍していた時代でたいへんでしたが、赤ん坊をつれた奥さんを伴っていたので相手も警戒心をとき、これがフィールドワークに効果的でした。東アジアを中心に旅行自体が大変な時代にいろいろなところへ出かけます。

当時の学者は机上で書物から論文を書く人が多く、実際に現場を出かけて論文を書く鳥居龍蔵の態度はかなり異質でした。やがて人類学教室の主任教授になりますが、内部的なゴタゴタにいやけがさし、辞職願を出すことも、この時に解剖学の小金井博士という人が登場するのですが、この方、星新一のおじいさんだったんですね。波乱万丈の人生でしたが、その名前と業績は日本よりも海外で著名な方でした。お話を聞いてから、メモした用語などをもとに後でたくさんのことを学ばせていただきました。

●印象的なお話を2つ
梅棹先生のもとへ、大学から入試問題に文章を使ってもよいかと問い合わせがありました。入試問題を確認すると梅棹先生の平易な文章にいろいろな漢字をいれてわざと難しくしてありました。大学に連絡すると、そのままの文章だと試験問題にならないと言われ、最終的に断ったそうです。私の文章は大学の問題にもならないくらいわかりやすいんだと明るく話されていました。

もうひとつ印象的なお話は読書の話。いろいろな学術書を読まれますが、目的は誰かの本に書いてあることと同じことをやってもオリジナリティーがなくなるので、そのための確認作業のために本を読まれるそうです。インターネットで調べた文章を切り貼りして卒論を出すような昨今の学生にぜひ聞かせたい言葉でした。

梅棹先生のおかげで本当にいろいろな刺激を受けました。ご冥福をお祈りします。

梅棹忠夫先生がなくなられました。

梅棹忠夫先生が亡くなられました。

知的生産の技術研究会は梅棹先生が出された「知的生産の技術」(岩波新書)に触発されてできた勉強会でもあり、特別顧問に就任いただき知研関西 10周年記念セミナーでは大阪のYMCAでセミナーを行っていただきました。 

「知的生産の技術」が出たのが1969年ですので1999年には「知的生産の技術」発刊30周年記念 梅棹先生を囲んで語り合う会」も開催ししています。

 
umesao201007.jpg梅棹先生は社団法人日本ローマ字会の会長でもありましたので、こちらでもよくお目にかかっていました。忘れられないのが2002年に神戸で行なわれた「21世紀版 文明の生態史観」です。セミナーなんですが、目を悪くされてからは対談形式で行うスタイルです。お前、梅棹先生の聞き手をやれと言われて、あの時は文明の生態史観をひたすら読み込みましたね。ご冥福をお祈りします。

ツイッター 入門から使いこなしまで

昨日は大阪産業創造館のパソコン教室を借りて「ツイッター 入門から使いこなしまで」セミナーを開催。講師は有限会社ザ・ワンの横地専務です。

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ザ・ワンは三重県菰野町にある会社で三重から大阪まで来ていただきました。セミナーが終わった後は堺筋本町駅近くの座・和民で交流会。

横地さん、てっきり泊りだと思ったら車で来ておりました。交流会にもウーロン茶でおつきあい。交流会が終わってから三重まで戻って、仕事がまだ残っているそうで、ごくろうさまです。私は横でいつものように飲んでいました。(笑)

それにしても知研関西23年の歴史で初めてパソコン教室を使ったセミナーでした。1998年10月に「パソコン通信とインターネット」というタイトルでセミナーをしましたが、当時はダイアルアップで接続する時代で、パソコンがそろった環境なんてなかったですからね。便利な世の中です。

私の知的生産の技術から20年

水曜日、京都橘大学へ

マルチメディアの授業はパワーポイントを使った3分間自己紹介。

教室の一番前でマイクを使ってプレゼンを行うのですが、今までプレゼンをやったことがない学生が多く、「緊張した~」という感想ばかり。3分と言いながら1分で終わる学生、6分ちかくしゃべる学生など様々でした。
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夜は知的生産の技術研究会・関西のセミナー。今回は童話作家の溝江玲子さんに、「『私の知的生産の技術』から20年 「知研」に学び、児童文学・創作の世界に羽ばたく」というタイトルでお話いただきました。

藤本義一氏主宰の私塾「心斎橋大学」で、絵本・児童文学創作講座の主任講師を受け持っていることもあり受講生もたくさん参加されていました。

▼セミナーの様子
http://tiken-kansai.org/TS09/S09-10.htm

田舎力

昨日は知研関西セミナー

会場はいつも使っている梅田サテライトが一杯でしたので、南森町にある「いきいきエイジングセンター」で開催。南森町から徒歩5分ですが、少し分かりにくいところにあります。おまけに第3研修室という一番奥を借りたのでセンターに入ってから迷路のような道を歩かないとたどりつけません。(笑)

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講師の金丸さんはライターズネットワークの創設者もありますので、ライターズネットワーク関係者の参加も多く、まるで同窓会でした。(笑)

金丸さんには2001年にも講演してもらっています。
出版社への売り込み方教えます

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綾小路きみまろではありませんが、洗練されたおしゃべりで抱腹絶倒のセミナーでした。

「田舎の人は純朴だと勝手にイメージしていたら、大間違い!例えば耕作放棄地が増えている田んぼでは、田植えや稲刈りを外注すると米を作るより買った方が安い!」

「いやあ、笑いごとじゃなくて、これが現実なんです。そこで飯田市が目を付けたのが修学旅行生。田植え体験と、普通なら手間賃を払って田植えしてもらうのが修学旅行生一人から1500円をとって、手植で田植えをさせる。」

「また農家民宿ということで一人6,500円をとって泊らせる。ヨーロッパではグリーンツーリズムというんですが、どう考えても金儲けでっせえ、田舎の人のどこが純朴やねん。」

「囲炉裏端でじいちゃんがいろいろと高校生に話をしてくれる。家族が聞きあきた話でも、高校生は毎回変わるので同じことをしゃべっても大丈夫!」

国が地域資源活用など地域活性化のプロジェクトを始めていますが、その第一線で関わっていますので、施策の背景などとっても勉強になりました!

終わってからは南森町の「かっぽうぎ」で交流会!一応、22:10と22:30に中締めしたんですが、閉店の23時まで飲み続けたようです。私は22:30に失礼してきました。

セミナーの様子です → 田舎力

知の現場

昨日は知的生産の技術研究会・関西のセミナー。
講師は作家の野村正樹先生です。

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毎年、8月になると野村先生のセミナーを開催しており、すっかり納涼セミナーとして定着しています。今年も講演を依頼する前に6月ぐらいに、「8月はこの日とこの日tが空いているよ」と連絡がありました。(笑)

最近は鉄度の話が多かったので、今回は知研らしく高尚なお話を。的生産の技術研究会から11月に「知の現場」という新しい本が出るのですが、寺島実郎氏、勝間和代さんなど著名人に対して取材した内容をまとめた本です。

野村先生へも取材申込があったのですが、取材を中心とした顛末の話をしていただきました。心配だったのか版元である洋経済新報社の編集者も参加されていました。この方、前回も参加されていてテツです。そして結局、最後は鉄道の話になってしまいました。(笑)

セミナー後はいつもの交流会。前に座ったABC放送のアナウンサーもテツですし、隣に座った吉本の人もテツでした。私も鉄道は好きな方ですが、レベルが違いますなあ。

→ セミナーの様子です。

梅棹忠夫著作目録が届く

昨年6月に千里中央の阪急ホテルで「梅棹忠夫先生の米寿を祝う会」が開催され、知的生産の技術研究会の久恒理事長らと出席してきました。

その記念品というわけではありませんが、今日、千里文化財団から「梅棹忠夫著作目録(1934-2008)」が届きました。これが600ページもある大部な一冊。目録だけでこの分量ですので、実際の著作は膨大なものになります。だいぶ前に出た著作集でも20巻ありました。

この目録を見るだけでも大変です。

開かれたセキュリティ 知研関西セミナー

月に一回、大阪で知的生産の技術研究会・関西を開催しています。
いつもは平日の夜19時~21時開催が多いのですが、珍しく土曜日に開催しました。

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土曜日開催は2年前に20周年記念セミナーをやっていらいですね。仕事の関係で平日夜、来られない人が来るかなと思ったのですが、そうでもなく、参加者は8名でした。

セミナー前に皆さんに一分間自己紹介チをやってもらう予定でしたが、5分に延長。それでも時間が余るかなと思いましたが、しゃべりたがりの人が多いので、質問などが相次いで時間オーバーしてしまいました。(笑)

セミナーは神戸で新日本警備株式会社を経営されている時田氏にセキュリティ・ポリス構想をお話いただきました。

現在のセキュリティシステムはハード中心で、高価なものになっているため、活用できるのは金持ちだけです。昔ながらコミュニティの力を使って、お金があまりかからない「開かれたセキュリティー」の提唱です。

セミナーが終わってからはいつものように交流会。時田氏は元、兵庫県警でいろいろな武勇伝など面白かったですね。

→ 開かれたセキュリティ