知的生産の技術研究会から出ている機関誌。
巻頭は毎年、開催されている寺島実郎氏(多摩大学学長、三井物産戦略研究所所長など)の講演録「日本の進路はどうあるべきか」。寺島氏にはよくテレビのコメンテータなどで登場されているので、ご存じの方も多いでしょう。寺島氏には知研の顧問にも就任いただいていて毎年、知研向けに講演をしてもらっています。
米国は中国、日本を本当はどう見ているかなど新聞などでは報じられない見方が掲載されていて勉強になりますね。講演の最初に司会の久恒さんが昔の寺島氏のちょっとしたエピソードを紹介しています。
寺島氏が高校生の時に政治家だった鹿島守之助氏に書いた手紙で、EU統合の父であるクーデンホーフの訳を鹿島氏がしています。本に感銘したが他の本を読むお金がないので、早い話が本の無心。感激した鹿島誌から返事が返ってきて、いろいろな本が送られてきたそうです。
EU統合の父であるクーデンホーフですが明治時代にお父さんが駐日大使として日本に赴任しており、この時に芸者だった青山光子を見染めて奥さんにします。ゲランの香水に「ミツコ」がありますが、この名前の由来となりました。EU統合の父のお母さんは日本人だったんですね。
鹿島守之助氏の孫が鹿島建設の副社長で中曽根康弘氏の娘婿の渥美氏。高校生の時、おじいさんにこんな手紙を出したと言ったところ。おじいさんの秘書が存命でこの手紙が出てきて現在は寺島文庫に入っているそうです。
去年の12月に知研関西25周年記念セミナーで梅棹忠夫先生の秘書を長く勤められた三原さんにセミナーをしていただいた講演録もおさめられています。
余分が5冊ほどありますので、次回の知研関西セミナーへもっていきますので先着順でどうぞ!
次回は「おもしろい商品は売れ続ける~ロングセラーは笑いを取れ~」
日 時:2013年5月24日(金)18:55~20:40
場 所:大阪産業創造館 6階会議室B
講 師:30円にこだわるコドモ菓子(駄菓子)専門メーカー
オリオン株式会社 取締役企画部長 高岡 五郎氏
▼詳しくは
http://
月: 2013年4月
10年前に頼んだお酒が届く
今から10年前の2003年、奈良の造り酒屋「梅乃宿」が110周年記念で始めたのが「悠久の雫」というプロジェクト。
梅乃宿の大吟醸を10年間、冷蔵貯蔵にて保管する、つまり古酒を作るプロジェクトで250本限定。ちょうど独立して1年たった頃で、いきつけの地酒屋さんに行ったら、こんなプロジェクトがありますよと教えてもらい、さっそく申込。
10年たっても独立して、しっかりやっているかなと未来の自分にエールを贈るためにネームプレートには「水谷IT支援事務所 開業12周年記念」とつけて保管してもらいました。
さて梅乃宿も120周年を迎え、連絡があり、お酒が手元に届きました。結局、10年独立しながらなんとかなりました。支えていただいた皆々様に感謝しながら乾杯!
特急は止まるが快速急行は止まらない御影駅
おしゃれなマルーン色の阪急電車ではなく、庶民的な阪神電車で神戸・三宮まで行っているのですが、不思議なのが阪神・御影駅。
御影駅は「へ」の字型の急カーブになっていて阪神電車の普通から特急まで全ての電車が止まります。唯一、止まらないのが近鉄から乗り入れている快速急行。駅の直前から徐行運転になりますが、止まらずに御影駅を通過します。
理由は近鉄の車両が阪神よりも長く、「へ」の字に曲がっているホームではうまく止まらないからのようです。ネットで調べると近鉄との乗り入れが始まる前に近鉄の車両を走らせてみたところ、御影駅で車体がすりそうになったそうで、ホームを削ったそうです。電車の相互乗り入れも大変ですね。
BLAST研究会
2002年度大阪地区で実務研修した仲間が中心となってスタートした中小企業診断士の勉強会。11年続いて、今回が37回目。
1次試験がマークシート試験に変更となった新制度の中小企業診断士で構成しています。関西一円のメンバーが多いのですが、遠くは東京にもメンバーがおり、今日も東京から参加されていました。BLASTとは『一吹きの風』を意味し、沈滞化の激しい日本経済に吹き抜ける『一吹きの風!』という気持ちを込め命名されています。
研究会に出るメンバーは独立組が多いというのが特色ですね。終わった後の懇親会では、企業内診断士に対して「独立しなよ、いいよ」と悪魔のささやきが行われ、信じて独立すると、「早まったな」とオチを入れる、なかなかおそろしい研究会です(笑)
モトコーとは高架下商店街のこと
NPO ITC三重の総会
本日はITC三重の総会。三重県内で活動するITコーディネータの集団です。
発足したのは11年前で、株式会社三重ソフトウェアセンター(第三セクター)を中心に活動していました。ところが2008年に三重ソフトウェアセンターが解散してしまったので、三重県産業支援センターに拠点を移動。
経済産業省などが行っていたIT経営応援隊事業なども行っていました。今までは任意団体でしたがNPO化し、今日が第一回目の総会で17名が参加。
またNPO化に伴い会員はITコーディネータだけでなく三重県内でITによる中小企業支援などをする人材に拡充しています。
方向音痴になりやすい京都人、神戸人
神戸のジュンク堂に置いてあった「神戸ルール」という神戸人に焦点をあてた本を読んでいるんですが、なかなか興味深い神戸人について書かれています。
別の土地に行って、方向音痴になりやすいのはまず京都人。京都と言えば、平安の時代から続く、きれいな碁盤の目。東西南北がはっきりしているのが特徴です。名古屋なんて一見、碁盤の目でありながら飯田街道のように斜めの道はあり、そこらへんに五道の辻があって、こんな所へ行けばよく迷います。
神戸も分かりやすい土地で。海と山に囲まれた狭い土地ですので、方向が分からなければとりあえず山を探せば、そちらが北側。百貨店の中の案内も山側、海側と書かれています。単純な土地で生活しているので神戸人もほかの土地に行くと迷いやすいそうです。大阪も分かりやすいですね。大阪で山と言えば生駒山ですので、山が見える方向が東です。
困るのが名古屋。濃尾平野がけっこう大きく、ビルに隠れて山がよく見えません。結果、どこにいるか分からなくなります。JRセントラルタワーズが見えたら、とりあえず名古屋駅の方向だけは分かります。
あと阪急電車の車体の色ですが、阪急マルーンと言って特に神戸人が愛しているそうです。決して、ヨーカン色と言ってはいけないそうです。言っていますなあ(笑)
ひょうご産業活性化センター 研修
今日は、ひょうご産業活性化センターの研修。
午前は兵庫県産業労働部による経営革新計画の説明。経営革新計画とは中小企業が新しいことに取り組む内容を経営計画(3年~5年)にまとめ知事承認を受けると、いろいろ支援策が活用できます。と言っても支援としては低利融資ぐらいしか目玉がないので、私は主に経営の棚卸に計画作りをすすめています。
兵庫県内の中小企業数は約16万8千社で経営革新の承認を得ているのは2,012件。1.19%ほどが承認を得ています。全国の各都道府県でやっているんですが、運用は各県少しづづ変わっていて兵庫県では、会社が額に入れた飾れるような承認書にしています。これはいいやり方ですね。計画の提出先は県民局単位で、審査会が月に2回開催され、そこで面接が行われます。ちなみに三重県は提出するだけで面接はありません。
午後はひょうご産業活性化センターのいろいろな事業説明。多岐にわたっていますが、基本的にどこの支援センターも同じですね。面白かったのが
・技術、経営力評価制度
有料で会社の評価をしますが、けっこうな申し込み案件があります。銀行がすすめているようです。
・女性起業家向け創業補助金 上限100万円で補助率1/2です。
女性だけというのがちょっと難点
船場総研 総会
かってパソコン通信Nifty-Serveの中にFlic(資格)フォーラムがあり、その中に中小企業診断士の受験用の会議室がありました。日頃はオンラインで勉強しているんですが、せっかくなのでオフラインでも集まって勉強しようと出来たのが船場勉強会。
ウェブ時代になっても続いています。
▼船場勉強会
http://
船場総研というのは船場勉強会のOB組織、つまり中小企業診断士の集まりです。なぜか、ほとんどが独立診断士という集まりです。もともとは合格後も船場勉強会に出入りしていたのですがOBがうるさいので、勉強の邪魔になるから隔離しようと出来た組織です。(笑)
本日は関目高殿にある城北市民学習センターで1年間のスケジュールを決める総会。てっきり13時スタートだと思ったら、誰もいませんでした(泣)15時スタートでしたので、机で原稿書きの仕事をしておりました。
ゆるい研究会ですので10名参加のはずが2名欠席。連絡したら「今日だったけ?」という返事が返ってくるような研究会です。今年度のスケジュールを決めたのですが秋にワインが飲みたい、昭和の雰囲気がするキャバレーに行きたいなど言いたい放題。安田会長の指導のもとなんとかまとめて、17時から宴会。
この手の研究会では珍しく、独立組が多い研究会なんですが、こんなんでいいんですかねえ(笑)
ここが邪馬台国? 唐古・鍵遺跡
専門家派遣の帰りに田原本町へ寄ってきました。
ここには弥生時代の環濠集落遺跡、唐古・鍵遺跡があり、楼閣が描かれた土器が見つかったことで有名です。
「出雲と大和」(岩波書店)では田原本町を邪馬台国に比定しています。田原本町という場所は、まさにヤマトの中心地。
都がおかれた飛鳥の地はヤマトの中心部ではなく、少し高地になっていて、中心部からかなり離れた土地です。なんでこんなところへ都を作ったのかなと不思議なんですが、当時、中心部は湿地帯だったという説もあります。
もしくは、唐古・鍵遺跡あたりの部族と、なにかあったかもしれません。神武東征以前にヤマトにいた部族としてはナガスネヒコとニギハヤヒ(物部氏の先祖)ですので、根城にしていたのが田原本町だったのでしょうか。
唐古・鍵遺跡には姫川のヒスイや尾張、吉備の土器も入ってきていて交易の中心地のようでした。この後にできる巻向遺跡も各地から土器が集まっていますので、唐古・鍵遺跡の経済面を継承したかもしれません。
ミュージアムもあり、いろいろな土器が飾られていました。中には土器に犬の歯型がついていて、土器を焼く前に犬がいたずらしたようです。ネズミがひっかいた跡が残っている土器もありました。