西日野へは軽便鉄道で

四日市あすなろう鉄道

西日野に向かうには近鉄四日市から出る四日市あすなろう鉄道八王子線が便利です。 

なんせ日本で2路線しか走っていない軽便鉄道(ナローゲージ)の一つで、全国的に鉄ちゃんには滅茶苦茶有名な路線です。もう1路線は西桑名駅から出ている三岐鉄道北勢線で三重県内には日本最後の軽便鉄道が残る稀有な県になっています。 

線路が狭いので車両も狭く、夏目漱石の「坊ちゃん」で、「マッチ箱のような汽車」という表現が出てきますが、軽便鉄道時代の伊予鉄道の話で、実感できるのが四日市あすなろう鉄道です。 

もともとは伊勢八王子まで走っていましたが、西日野駅ー伊勢八王子駅間が廃線となり、現在は西日野駅が終点になっています。ポリテクセンターは西日野駅から歩いて10分ほどの所にあります。最近まで近鉄でしたが旅客が減ったためバスに変更するという案に地元が反対し公有民営方式で残っています。日本最後の軽便鉄道を残すためにも、皆さんしっかり乗りましょう!

ガチャコン(近江鉄道)

近江鉄道

滋賀のローカル鉄道といえば近江鉄道。地元ではガチャコンと呼ばれています。

米原駅と貴生川駅を結んでいて途中の八日市駅から近江八幡駅まで支線が出ています。時たま新幹線横をガタゴト走っているのを見ることができます。なんせ近江の城巡りには便利なので時たま乗っています。近江といえば西武・堤家の発祥地でもあり近江鉄道は西武グループとなっています。駅前には西武バスや西武タクシーが走っていて関西人にとっては違和感がありますね。

孔舎衛坂駅

孔舎衛坂駅

昔、近鉄奈良線は石切駅のもう少し先に孔舎衛坂駅があり、ここから旧生駒トンネルに入っていました。久しぶりに少し足をのばして孔舎衙坂駅へ、ホーム跡などがそのまま残っています。

もともとは日下(くさか)駅という名前でしたが、神武東征で神武天皇が長髄彦と戦った孔舎衛坂の名前をとって孔舎衙坂駅になりました。

神武東征に出発し、大阪は海でしたのでそのまま船に乗って草香津に着きます。ここから生駒山を越えて大和に入ろうとした時に孔舎衛坂という尾根道で長髄彦に敗退。神武天皇は日の神の子孫が日に向かって(東側)に攻めたのが敗因だと言いますが、そんなのは戦う前に分かるし、戦いに有利なのは高所をとった方ですから、最初は交渉できていたところを裏切られたか何かがあったんでしょうね。

草香津まで戻り、盾をたてて雄叫びしたので草香津は盾津と呼ばれるようになります。ここから紀伊半島を迂回し、三重県から大和を目指すことになります。

阿漕駅

阿漕駅

JR紀勢本線にある阿漕駅。

国鉄だった時代、この阿漕駅から中学・高校へ通っておりました。当時は貨物も扱っており、わりと大きな駅で駅員が5、6人おりましたが、今は御多分にもれず無人駅。中学1年の頃は、まだSLが走っていました。D51やC62が現役でしたね。

紀勢本線は1時間に1本走っており、本数は昔とあまり変わりません。そのうちの何本かは和歌山の新宮まで走っており、阿漕駅から36駅4時間かけて新宮まで普通で行くことができます。近鉄がダイヤ編成して急行が南が丘駅や桃園駅に止まるようになったので松阪あたりに行くのならJRの方が早いですね。

旧・石切駅

旧・石切駅
奈良と難波を結ぶのが近鉄奈良線。大阪と奈良との境には生駒トンネルがあります。大阪側の最後の駅が石切駅で生駒山の山麓にあり、夜は大阪平野の夜景が一望できます。この石切駅ですが昔は現在の駅よりも100メートルほど大阪よりにありました。
現在の生駒トンネルは2代目で初代の生駒トンネルは少し離れたところにあり、石切駅の次には孔舎衛坂駅があり、孔舎衛坂駅から生駒トンネルに入っていました。この孔舎衛坂駅の遺構が残っています。
暑い中、旧・石切駅の遺構を探していたらホテルセイリュウから少し行った土手に階段が残っていました。反対側にも駅に登れる坂があり、ここが旧石切駅だったようです。

小坂鉄道

小坂鉄道
車社会の大館で一番賑やかなのはロードサイドなんですが、街中で賑やかなのは駅から長木川を渡ったあたりで飲み屋さんやホテルが集中しています。大館駅前は鄙びていて、なんと名画座が残っていました。そんな大館駅近くで見つけたのが廃線跡。調べると小坂鉄道と呼ばれる鉱山鉄道でした。コサカと言われると司馬遼太郎記念館と大阪商業大学がある河内小阪を思い出しますね。
江戸時代から小坂鉱山の開発がはじまり、明治時代には銀の生産高が日本一の鉱山となりました。マルコポーロの東方見聞録で黄金の国ジバングと称えられましたが、奥州藤原氏の時代から金・銀が豊富な土地なんですね。小坂鉱山から22キロ先にある大館へ輸送するために作られたのが小坂鉄道で小坂製錬が運営していました。
小坂鉄道は貨物鉄道として1908年(明治41年)に開通。もともとナローゲージでしたが、1962年(昭和37年)に標準軌(JRの在来線と同じ)に置き換えられます。いまや日本で走っているナローゲージ(軽便鉄道と同じ)の電車は三重にしかなく三岐鉄道・北勢線と四日市あすなろう鉄道 内部線・八王子線が健在です。
小坂鉄道は貨物だけでなく人も乗せていましたが、1994年に旅客営業を廃止、2009年に貨物輸送が廃止され廃線となりました。10年ちかく前には走っていたんですねえ。廃線跡がずっと残っていて終点の小坂駅には小坂鉄道レールパークがあるそうです。大館駅近くもきれいに線路が残っており、廃線跡ツアーなど観光資源になりそうです。

四十九駅(伊賀鉄道)ができていた

四十九駅
久しぶりに忍者の里・伊賀上野へ
昔、西岡たかしの名曲「上野市(うえのまち)」で歌われたのが伊賀鉄道です。”桑町~茅町~広小路~もう一つ揺られて上野市(うえのまち)”という伊賀鉄道の駅名が登場します。伊賀鉄道は江の島電鉄のように住宅街の間を通り風情がありますね。また松本零士のイラストで有名です。
伊賀鉄道の車両が少し変わっていてインバウンド対応のために料金案内が英語、中国語、韓国語になっていました。JRにしろ近鉄にしろ鉄道で伊賀上野に入るには伊賀鉄道しかありません。
■四十九駅が誕生
また猪田道駅と桑町駅の間に四十九(しじゅうく)駅という新駅ができていました。3月17日にできたばっかりだそうです。しかも桑町駅からそれほど離れていません。新駅ができた理由は市役所の建て替え問題が背景にあります。
現在、伊賀鉄道の上野市駅近くに伊賀市役所があり、伊賀上野城のすぐそばなんですが老朽化による建て替え問題がありました。現在地で建て替えするか、少し離れた伊賀県民局の横にするか討議が行われ、車社会ということもあり伊賀県民局のそば(名阪が近い)に決定しました。それで最寄駅として四十九駅が出来ましたが、桑町駅から行くのと、それほど変わりません。地元では新駅のすぐそばにあるイオンのためだと言われています。(笑)

能勢電鉄

能勢電鉄
阪急梅田から宝塚線に乗り北摂の山が見えてきたあたりで停車するのが川西能勢口駅。ここから能勢電鉄が出ています。
もともとは能勢妙見山への参拝客輸送を目的として設立されましたが、現在は、阪急阪神ホールディングスの子会社で、妙見山へのケーブル線も能勢電鉄が運営しています。
能勢電鉄は北摂の山の中を進んでいきますが、途中にあるのが多田駅。摂津守だった源満仲が住吉大社に参詣したところ、「北に向かって矢を射よ。矢の落ちる所を居城とせよ」との神託を受けます。鏑矢を放って鼓ヶ滝付近まで来た時に白髪の老人に出会い、(能勢電鉄には鼓滝駅があります)老人によると沼にいる九頭竜の目に矢がささっているという話でした。沼に行くと竜が暴れていましたが、やがて息絶え、暴れたことで水がなくなり多くの田ができたことで多田になったそうです。
伝説はそうなんですが、池や沼を埋め立てて新田開発してできた多田の地を拠点に清和源氏が誕生したようですね。源満仲は多田満仲となり多田源氏の祖となります。満仲の息子が大江山鬼退治で有名な源頼光です。能勢電鉄の多田駅近くに清和源氏の本山である多田神社があります。

宇治山田駅の転車台

転車台
近鉄・宇治山田駅のホームには「テレビ番組で紹介!転車台はこちらです」と張り紙がしてあります。伊勢編のブラタモリで紹介されました。
宇治山田駅のホームは3階にあるのですがホームのすぐ横まで車が上がれるようにスロープがついています。昔、ホームの電車から降りて、すぐに賢島方面行のバスに乗り換えることができました。ただ狭い所ですのでバスはUターンできませんので、転車台が設けられていました。ターンテーブルですね。
伊勢神宮へ行くついでに、ぜひどうぞ!

おおさか東線

おおさか東線
大阪府よろず支援拠点を出て東大阪商工会議所へ。
地下鉄中央線で高井田駅へ出て、おおさか東線の高井田中央駅で乗換。おおさか東線は城東貨物線を複線化し放出(はなてん)駅から久宝寺駅まで一般のお客さんが乗れるよう旅客列車が走っています。もともとが貨物線なんで貨物列車も走っています。
2019年には放出駅から新大阪駅まで旅客列車が走るそうで、東大阪から新幹線に乗るには便利になりますね。ただ現在のおおさか東線は15分間隔で1時間に4本ですから、もう少し増やしてほしいです。
もっとも東大阪商工会議所の最寄駅である近鉄・河内永和駅は普通しか止まらず1時間に3本なんで、こっちもなんとかしてほしいなあ。2019年には花園でラグビーワールドカップが行われるので、新大阪-河内永和-東花園の連携を考えて本数が増えるかもしれません。