水谷神社にお参り

mizutani201212.jpg初詣は奈良の春日神社へ 

さすがに人が多く、本殿に入る前には入場制限もあります。境内はごった返しているのですが、境内のちょっと離れたところに水谷神社があります。 

手向山八幡宮から若草山沿いに歩いて春日神社の神域に入ったすぐの所にある摂社です。水谷家の総本社でして、毎年お参りしています。 

というのはウソで、本当は水谷神社(みずやじんじゃ)という名前。 
素盞鳴命、大巳貴命、奇稲田姫命が祭られています。疫病難病をはらい病魔を退散する神様。近くを水谷川が流れていて川沿いに水谷茶屋が有り、川には水谷橋がかかっています。と、水谷がてんこ盛り(笑)。 

WikiPediaを見てみると兵庫県養父市には本当に水谷神社(みずたにじんじゃ)があるそうで、こっちはぜひお参りしてみたいですね。

天平時代にもあったパワハラ

syousouin201211.jpg午後に仕事が終わったので正倉院展へ出かけてきました。奈良へ着いたのは夕方。 

正倉院展では閉館90分前からオータムレイトチケットという割引(1000円→700円)があります。この時間帯になると並ばずに会場へ入れ、会場内も人が少ないのでゆっくり見られます。もっとも目玉である瑠璃坏(コバルトブルーのグラス)には長い行列ができていました。 

今回はガラス玉とスゴロクなどの遊び道具の展示が多かったですね。白と黒の碁石も展示されていました。いつも楽しみにしている古文書が少なかったのが残念。 

古文書の中に天平時代のパワハラ文章がありました。主人公は角勝麻呂という人部。写経生でしたが仕事でミスをしたようで、上司や同僚から「宴を必ず設くべし」と迫られ、親族と思われる角恵麻呂が連帯保証しています。この念書が古文書として残りました。 

上司や同僚がミスを表沙汰にしない代わりに宴会を強要したようで、まさにパワハラ。本当に宴会を開いたかどうかは分かりませんが、後の古文書にも角勝麻呂が登場しますので、無事に切り抜けたようです。 

先日、「平城京に暮らす」(馬場 基著・吉川弘文館)を読んでいたら、この話が出ていて現物を見られたのはラッキーでした。 

「平城京に暮らす」によると、当時は役所でも酒が支給されたそうで、酒がほしいという木簡が残っています。それも「二升ばかり」や「一ニ升」とあり、二升ほしいと直接的に書かないところがいじましいですね。 

また腹痛など休暇願の木簡が残っていますが、中には図太いのもいて無断欠勤がけっこうあったようです。役所が無断欠勤者のリストを作って呼び出したりしています。呼び出しがあると別の理由をつけて、また休む厚かましいヤツもいて、いつの時代も変わりませんね。

奈良の正月

nara20120103.jpg1月2日&3日と奥さんの実家の奈良へ。最近は興福寺近くの飛鳥荘に泊まり、親戚が集まるスタイルになっています。

まずは春日大社へ初詣。奈良駅からずっと人の列が続き、神社の境内にはずらっと屋台が並んでいます。去年は入口階段で入場制限していたのですが、今年は入場制限なく、そのまま入れました。やっぱり境内は人でごった返していました。

飛鳥荘にそうそうに戻り、16時から大浴場に入れるので、さすがにこの時間から入っているお客はいませんでした。(笑)広々としたお風呂でのびの
びと。夜は露天風呂へ。飛鳥荘の目の前が興福寺の五重塔なので、露天風呂からライトアップされている五重塔が目の前に見れます。なかなか幻想的。食事は正
月仕様になっていて、なかなか華やかなんですが量が多かったですね。

朝は夜明け前の興福寺に行ってきました。南円堂は7時前からお参りする人が多いんですね。お坊さんの般若心経の声が響いていました。高校ラグビー
チームが奈良のいろいろな宿舎で合宿していますが、南円堂に30名ほどがお参りしていました。今日にでも花園で試合があるのでしょう。

織田信長が切り取った蘭奢待

syousou2011112.jpg正倉院展へ行ってきました。

土曜日の昼中はとんでもなく混雑していますので、閉館1時間半前から入れるオータムレイトチケット(割引チケット)を買って入館しました。

すっかり日が暮れた興福寺と春日神社の参道を通って奈良国立博物館前へ。少し切符売り場で並んでオータムレイトチケットを買い博物館入口へ。列は100メートルほどで、すんなり入れました。中はまだ混雑していましたが終了30分前になるとガラガラです。

入口近くにあった蘭奢待をじっくり見ておりました。蘭奢待とは香木で正倉院に伝わっています。蘭奢待の文字の中に”東・大・寺”が入っています。
この香木、天下を取った権力者が切り取ることで有名です。蘭奢待には3つの白い紙が貼られていて、足利義政、織田信長、明治天皇が切り取ったあとと書かれ
ていました。明治天皇まで切り取っていたんですね。しかも織田信長よりも大きく切り取っています。

以前、新聞に東大寺の大仏足元から明治時代に見つかった刀が1250年間行方不明だった宝剣「陽宝剣」「陰宝剣」とエックス線調査で分かったと報
道されましたが、光明皇后が献納したもので刀の名前が印された国家珍宝帳も出展されていました。いつもに比べると古文書の出展が少なかったですね、天平時
代の欠勤願いなど楽しみにしていたんですが。

写真は猿沢の池から見た夕焼けです。

朱雀門(平城京)

suzakumon201110.jpgJR奈良駅から関西線で伊賀の企業さんへ

帰りに平城京跡をのぞいてきました。近鉄の車窓からいつも見ているのですが、歩くのは久しぶりです。夕方で施設などは全て閉まっていますので、とりあえず朱雀門へ。朱雀門の前には朱雀大路が復元されており、幅は70mで、大宮通りまで220m続いています。実際に立ってみると実に幅広いです。

朱雀門から大極殿一帯では去年、平城遷都1300年祭を行いましたが会場跡はすっかり片付いていました。復元された遣唐使船はそのままで、平城京歴史館はまだ営業しているようです。平城京の中心地が大きな公園として残っているのはいいですね。

興福寺再建

koufukuji201108.jpg伊賀の企業へ関西線に乗って出かけてきました。のんびりしたローカル線なんですが帰りは月ヶ瀬口から合宿帰りの中学生が大挙して乗ってきてラッシュ状態に、疲れました。

加茂駅で乗り換えてJR奈良駅へ。そこから近鉄奈良駅まで暑い中、三条通りを歩くのですが、近鉄奈良駅のすぐ隣が興福寺。久しぶりにえっちらおっちら猿沢の池の前の坂を登って、夕暮れの五重塔を見てきました。

興福寺では中金堂の再建工事中。2017年完成予定で、1300年前の天平伽藍の復興工事をしています。8世紀に創建された興福寺の中金堂は平重衡の兵火など過去7度焼失。

薬師寺が天平伽藍を再建し、平城京の大極殿も再建されましたが、今度は取り囲む築地回廊等の復元が始まるそうです。奈良周辺ではいろいろなところで伽藍再建が進んでいますね。

西大寺駅近くの開かずの踏切

saidaiji201106.jpg近鉄西大寺駅のすぐ近くにある踏切。左は京都方面、右は​難波方面となっており、ちょうど二股になっています。

電車がよく信号待ちをするため、よく開かずの踏切になっています。西大寺駅で難波ー奈良と京都ー橿原神宮が交差するため、複雑な踏切操作になっています。

本当は立体交差にすればよいのですが、付近は平城京跡ですし、西大寺駅あたりは文字通り西大寺の寺域でしたので掘ったら、すぐ遺跡が出てきて建設
はストップしてしまうでしょうね。西大寺駅のすぐ近くにある「ならファミリー」は西隆寺跡で、発掘調査では金堂、塔、回廊、厨、東門、南面築地塀などが発
見されています。遺跡は埋め戻され、現在の土地の2m下に保存されています。

秋篠寺

akisino201106.jpg大学からの帰り道、普通しか止まらない平城駅で下車。京都へ向かう近鉄電車が平城駅を過ぎるとすぐ西側に古墳が見えます。前から気になっていたので途中下車して行ってきました。

駅のすぐ近くにあるのが八幡神社。山陵(みささぎ)八幡神社ともいい、祭神は気長足愛媛命、つまり神功皇后です。そして駅からすぐ見える古墳は神功皇后陵。と言っても大きな古墳なので全体は見えまえん。一説では邪馬台国のトヨが神功皇后だったのではと言われています。

神功皇后量からテコテコ歩いて秋篠寺へ。初夏に歩くものではありませんね、暑かった。久しぶりに伎芸天を見てきました。さすがに月曜午後は観光客
もほとんどいません、境内は緑も多くけっこう涼しかったですね。秋篠寺は創建当時は大きな伽藍で西塔、東塔がありました。今は礎石跡しか残っていません。

西大寺で日本最古の金庫が見つかった!

saidaiji201005.jpg大学からの帰り、西大寺駅で下車し駅近くの西大寺へ。

東大寺は全国的に有名ですが、平城京の反対側にあったのが西大寺。創建当時は金堂、東西の五重塔などが立ち並ぶ壮大な伽藍でした。今はほとんどが住宅街と近鉄電車の線路になっています。

西大寺の愛染堂で、係の人に聞いたのが西塔跡近くでのお宝騒ぎ。昭和初期、住宅建設中に開基勝宝という日本最古の金貨が見つかったそうです。開基
勝宝は恵美押勝(藤原仲麻呂)の命により鋳造された金貨。他にもあるのではないかとお宝騒ぎとなり、実際いくつか見つかったそうです。東塔は本格的な発掘
調査をしていないので、たぶんお宝が眠っているのではという話でした。

愛染堂は少し暗く観光客が少ないと、係員が懐中電灯で照らしながら説明してくれるのですが百万塔陀羅尼があり、西大寺にはわずか2つしか残っていないと説明してもらいました。

百万塔陀羅尼とは恵美押勝の乱を平定した称徳天皇が鎮護国家を祈念するため陀羅尼経をいれた百万塔を文字通り百万作ったものです。10万づつ10の寺に奉納され、その一つが西大寺。10万が、今は2つだけです。

この陀羅尼経は世界最古の印刷物でもあります。実はこの百万塔陀羅尼、古書目録で売りだされたことがあります。(反町茂雄の弘文荘待賈古書目)係の人に古書目録の話をすると、そんな話は初めて聞いたと、お返しに金貨の話をしてもらいました。

朝6時に響く興福寺の鐘

201101nara.jpg明けましておめでとうございます。

元旦は津の実家に帰省。私はほぼ毎週津へ行っているので新鮮味は全然なしです。

2~3日は奥さんの実家である奈良へ帰省していました。最近は宿泊パターンが多く、今回は興福寺の猿沢池近くの飛鳥荘という宿に宿泊。近くの宿には伏見工業高校一行様とあり、春日神社近くの宿にも高校ラグビー部が宿泊していました。奈良へ泊って花園ラグビー場へ向かうんですね。県は違いますが近鉄電車で一本ですし、奈良公園などで運動もできるので最適なんですかねえ。

今朝は6時に奈良の町にゴーンと響く興福寺の鐘の音で起きました。そのまま露天風呂へ、風呂から上空を眺めると北斗七星が見え、目の前の暗闇の中、五重塔がボーと浮かんでいました。なかなか贅沢な朝。