電子国家のインターネットな人びと

「7日間 ブックカバーチャレンジ」の最終日は『電子国家のインターネットな人びと』(ビジネス社)です。

電子国家のインターネットな人びと
電子国家のインターネットな人びと

■1995年4月1日に建国された関西電子共和国
かつて日本には「関西電子共和国(VRK)」という別の国がありました。もともと東京一極集中の見直しから関西に別政府を作り自分が好きな方の政府へ税金を払う仕組みです。

例えば汚職などが起きれば、税金の支払先が変わり別政府が大きくなります。つまり政府が緊張感をもって政治することになる二大政府制です。現実世界では難しいので、インターネットを使って実験することになり、他にも色々なシミュレーションもやろうと市民が自主的に参加する関西電子共和国が建国されました。

■初代大統領は中島らもさん
個人でインターネット接続できるようになったのは1993年11月からです。建国当時はまだまだインターネット接続している個人は少なく、その中でかなりの人が共和国国民となりました。当時、「今晩、飲みにいかない?」「ごめん、今日は共和国の会議があるんだ」というスターウォーズ“ジェダイの騎士”のような会話が行われていました。

「平成京」という都が作られ、最初の電子選挙は共和国の大統領選挙でした。初代大統領に選出されたのが中島らも氏で決まってから大統領就任を依頼しに行き、シャレで引き受けてもらったそうです。中島らも氏と一緒に笑殺軍団リリパットアーミーを立ち上げた“わかぎゑふ”さんに後年、この頃のいきさつをお聞きしたら、“何がなんだかわからないけど、まあいいか”と面白がって大統領を引き受けていたとおしゃってましたので、本当だったようです。

アスキーパロディ版(1983年)

「7日間 ブックカバーチャレンジ」No6は雑誌アスキーのエイプリールフール冊子です。1977年に創刊されたのがパソコン専門誌の月刊アスキーで1983年に月刊アスキーから独立し全編パロディの別冊子になりました。

アスキーパロディ版
アスキーパロディ版

■リカちゃん人形のソフトハウス
リカちゃん人形を使った家のセットが誌面を飾ったことがあります。名前は「リサちゃんのソフトハウス」。SOHO(自宅でビジネスを行う形態)という設定で、家の中はコンピューターリストやカップ麺だらけ。今、流行りのリモートワークですなあ(笑)。

「リサちゃん、今日は楽しいソフトハウスごっこ。何日も徹夜したり、毎晩マックドナルドを食べてがんばります。夢は大きな億万長者。ファビコンソフトで一発当てれば、ビルも建ち。海外旅行にもいけます。ボーイフレンドのトール君は、疲れ切って寝てしまいました。でもリサちゃんは頑張っています。だって一儲けしたいんだもん」というセリフをパソコンに向かったリカちゃん人形がしゃべっています。パロディとは言いながら、なんとも身につまされる内容でした。

■実際に動いた南青山アドベンチャー
アスキーは表参道駅近くの南青山にあったマンションに本社がありました。紙面のプログラムを入力すれば実際に遊べました。アドベンチャーゲームといっても今のようなきれいなグラフィックも音楽もなく、キーボードを使って操作するテキストベースのゲームです。

南青山アドベンチャーはPC-6001、PC-8001、PASOPIA、MZ-80で動作しましたが、クリアできない人が続出した超難関ゲームです。クリアすると「よくぞ ここまで やりとげました。あんたは えらい!」と表示され、住所、氏名を書いて切手を貼って封書を送るとプレゼントがもらえたようです。

アスキーは月刊アスキーと共に大きくなっていきましたが、やがて衛星通信や半導体など新事業を始め、この多角化が失敗。出版事業に専念するようにしましたが月刊アスキーは2006年で休刊。とうとうアスキーという社名がなくなり、一つの時代が終わりました。

近畿の城郭シリーズ

「7日間 ブックカバーチャレンジ」No5は「図解 近畿の城郭シリーズ」です。

近畿の城郭シリーズ
近畿の城郭シリーズ

■専門書なので高い!
仕方ないんですが一番の問題は専門書で高価ということ。各巻の値段は6,000円~7,000円で出るたびに買っていましたが、さすがにいつまで続くんだ思ってました(笑)。ようやく5巻目で完結となり、胸をなでおろしました。どう考えても3万円以上をつぎ込んでいます。

近畿の城郭シリーズは城郭談話会が創立30周年を記念して出した本で、滋賀県、京都府、奈良県、大阪府、兵庫県、和歌山県の950にわたる城郭が縄張図と共に紹介されています。第5巻の後半には所在確認ができる中世の城郭一覧が掲載されていますが、近畿で5,681もあります。つまり1日に1城を登っても15年以上かかる計算となります。

■山城登り
近畿にある山城のうち、おそらく300ほどは登っていますが、掲載されている城郭のまだ1/3ぐらいしか制覇していません。今年の山城シーズンは終わってしまったし、早く寒くなって雪が降らないかなあ。

インターネットマガジン創刊号(1994年)

「7日間 ブックカバーチャレンジ」No4はInternet Magazine創刊号(1994年10月)です。世界初のインターネット専門誌で1,980円で発売されました。

インターネットマガジン創刊号
インターネットマガジン創刊号

■インターネット接続はとっても大変!
Internet Magazineには当時珍しかったCD-ROMがついていました。CD-ROMにはインターネット接続ソフトが入っており、ソフトの設定をすればインターネットを始めることができ重宝しました。当時、パソコンには接続ソフトがなにも入っておらず自分で調達しなければならなかった時代です。

ハードではモデムの準備が必要です。今とは違い外付けモデムしかありません。そういえばパソコン通信の頃はモデムを買うとNTTに届出書を出さないといけませんでしたね。またモデムを使うにはATコマンドを駆使する必要があり、現在のようにボタンを押すだけでルータと簡単接続(WPS機能)してくれる時代とは雲泥の差です。

■電話線もネックだった
次に電話をモジュラージャックに変える必要がありました。今や見ることもなくなりましたが、昔の黒電話は直接回線につながっていて、今のように電話を線から取り外しできませんでした。モジュラージャックへの変更工事をNTTに依頼する必要がありました。そういえばパソコン通信の掲示板でモジュラージャック対応のビジネスホテルの情報交換をやっていましたなあ。

プロバイダーへの申込も書面に印鑑を押して郵送が必要な時代です。プロバイダーも13社しかなかった頃です。1分30円が相場でしたが私は安かったのでBekkoameを使っていました。(登録料が1万円、年会費が2万円固定)安かったので危ないメンバーも使っておりインターネット関係の事件があると、よくBekkoameを捜索したと新聞記事になっていました(笑)。

MacPower創刊号(1990年)

「7日間 ブックカバーチャレンジ」No3はMacPower創刊号(1990年2月)です。

MacPower創刊号
MacPower創刊号

■マックはパソコン界のポルシェだった
SEの仕事をしていた頃、上司がキャノンの知り合いでLisa(マッキントッシュの前身)を社内に1週間、持ち込んで「自由に使っていいよ。ただしレポートだけ書いてね」と言っておりました。ちょうどプロジェクトの合間で暇だったので業務が終わってから使ってましたが天地がひっくり返るほど驚きました!なんせ”コマンドを入れなくてもコンピュータが動く”というのは初めて地動説を聞いた時のようなものです。マウスを動かすと絵まで書けました(笑)!

このLisaは市場に出ましたが高すぎて失敗。やがてマッキントッシュが発売されますが、まだまだ高かったですねえ。知り合いがキャノンのゼロワンショップでMacPlusのセット1式を買っていましたが100万円ぐらいかかっていました。少したった1989年にMacSEを買いましたがハードデイスク40MBで47万円でした。日本橋でプリンタのイメージライターを買いましたが、こちらは67,800円。それからはMacLCやPowerBook、アキアの互換機まで手を出したバリバリのマック使いでした。

■MacLIFE、MacJapan、MacPower
当時、専門誌としてMacLIFEとMacPowerが出ていましたが、そこにアスキーから創刊されたのがMacPowerです。この3誌とも毎月、買っていました。雑誌代だけでも馬鹿にならなかったなあ。MacLIFEは版も大きく印刷も凝っていたので1200円もしました。他の2誌は800円~900円です。アスキーさんはその後、いろいろな雑誌に記事を書かせてもらったので、少しもとがとれたかなあ。

■リサはジョブズの娘の名前
マックの前身となったLisa(リサ)はスティーブ・ジョブズの娘の名前からつけられました。アップルは非合法的ビジネスからスタート、エクセルはマッキントッシュ版が最初だった、キヤノンがマック市場を切り開いた、スティーブ・ジョブズの右腕は沖縄出身などアップルにまつわるウンチクは
→ バグは本当に虫だった!
をぜひ、どうぞ!

反町茂雄氏の人と仕事

「7日間 book cover challenge」2日目は出版界の三茂雄の一人、反町茂雄です。他の二人は岡茂雄(岡書院、梓書房の創立者)と岩波茂雄(岩波書店の創立者)です。

反町茂雄氏の人と仕事
反町茂雄氏の人と仕事

●反町茂雄って誰?
弘文荘という古典籍専門の目録による通信販売を行っていた古本屋がありました。研究者などが、ずいぶんお世話になった古本屋です。昭和の初めに東大を出て、神田に今もある一誠堂で住み込みで小僧になって、この業界に入り、独立して弘文荘を作ったのが反町茂雄です。作成していた目録もただの目録ではなく、詳細に内容をチェックして調べたもので資料性の高いものでした。国宝や重要美術品になった本を数多く扱っていました。

ときたま古書市などに目録が出ますが高い値段がついています。私も5冊ほど集めましたが、あまり市場には出まわりません。谷沢永一氏も反町氏に頼んで研究用にこの目録を送ってもらっていました。

●入手が大変だった
反町茂雄が亡くなった時に追悼の意味をこめて文車の会(反町氏が作った古本屋の勉強会)が作成したのが「反町茂雄氏の人と仕事」です。脇村義太郎、寿岳文章、谷沢永一、紀田順一郎...錚々たる執筆者です。探していたんですが非売品で流通量が少ないこともあり古書目録にも載らず、なかなか見つかりません。

あきらめかけていたら大阪駅前ビルにある浪速書林の主人の後ろの棚にあるではありませんか。主人に言ってとってもらったら売価が書いてない。これいくらですか?と聞くと、奥さんに聞きにいったようで、今、奥さんが読んでいる本で売り物ではないと言われました。

これで振出に戻りました。でも待て待て相手は古本屋だ、きっと読んだら次は売り出すはずだ、ということで網をはることにしました。案の上、日本古書通信(昭和の初めからある古本屋、研究者、本好きのための月刊誌)の目録に浪速書林の名前が、目録を見ていくと本の名前がありました。やりましたね!さっそく葉書で注文です。ようやく1万円で手にいれた一冊です。

マイコン 1978年

表紙は電波新聞社の「マイコン」です。1978年3月号ですので生まれていない人も多いでしょう。パソコンよりもはるか以前のマイコンの時代です。表紙に映っているのはパナファコム株式会社から出ていたLkit-16。昔、松下電器産業と富士通が合弁会社を作っていた時代がありました。

マイコン
マイコン

Lkit-16の価格は本体+電源で115,000円でした。主記憶はすごいですよ!なんと0.5K語です(笑)!!

キーボードはもちろん16進数でアセンブラ言語を入力します。モニターなんてない時代ですからテレビをつなぎます。ハードディスクどころかフロッピーも普及していない時代ですから保存はカセットテープです。コンピュータはデジタルですが、カセットテープはアナログです。そこで音に変換して保存します。プログラムを読み込む時は反対にテープを再生すると「ぴーひょろひょろ」という音が流れコンピュータにプログラムが入っていきます。FAXを聞いている感じに近いですねえ。

ということで「データ保存はカセットテープがあたりまえだった」など詳しく知りたい方は「バグは本当に虫だった」をぜひどうぞ!
→ バグは本当に虫だった

都市センターホテル

少し調べものをしていたら神楽坂にある旅館「和可菜」を発見。別名が「ホン書き旅館」ということで、作家や脚本家がこの旅館に籠って作品を作りあげました。円谷プロの金城哲夫も、ここでウルトラマンを書いていました。『エロ事師たち』などで有名な野坂昭如もよく「和可菜」を使っていて、他に平河町にある都市センターホテルも使っていたそうです。

■都市センターホテル
大学を出てSRAに就職した時、本社が平河町にあったので出張というと麹町のダイヤモンドホテルや都市センターホテルに泊まっていました。40年前なので建替え前の時代ですねえ。近くには平川天満宮があったなあ。

都市センターホテルはジャーナリストの梶山季之もよく使っていました。この人の「せどり男爵数奇譚」は面白かったな~あ。梶山季之が籠っていた頃、フロントにいたのが森村誠一で梶山季之から原稿を預かり編集者に渡していました。これに触発されて作家の道を歩みはじめます。

居酒屋のビジネスモデル

休業要請などで居酒屋経営などが大変な状況になっていますが、厚生労働省の「平成30年 国民健康・栄養調査報告」を見ると、よく飲んでいるのは40~69歳のいわゆる中高年世代で、若い人はそんなに飲んでいないんですね。ウチの息子たちを見ても、たまに酎ハイの缶を飲んでいるぐらいで一升瓶で飲んでいる親父とは違いますなあ。

国民健康・栄養調査報告
国民健康・栄養調査報告

昔ながらの親父を相手にした居酒屋は、これからの10年間であまり飲まない層が主流となっていくため、いずれにしてもビジネスモデルの転換が必要になりそうです。

ところで「生活習慣病のリスクを高める量を飲酒している者」とは週5~6日×2合以上が目安なんだそうです。ギクッ!

在宅勤務浸透で変わるビジネスの形

皆が在宅勤務、“お家にいようよ”を否応なく経験することで、これまでの習慣、価値観、働き方が大きく変わっていきます。アフターコロナ(AC)を見据えて多くの企業でビジネスの見直しが必要になります。

■オンライン会議が当たり前に

緊急事態宣言で出張、出社ができず必要に迫られオンライン会議を行いましたが、意外に便利だと認識した人も多いでしょう。リアルな会議では場の雰囲気によって発言できない、上司への忖度などがありましたが、オンライン会議では場の雰囲気がそもそも伝わらないこともあり自分の意見を堂々と言えるメリットがあります。

ウィンドウズ95によって会社でパソコンを使うことが当たり前になったように、オンライン会議経験者が増えたことでオンライン会議が当たり前になっていきます。実際に会って会議するのも重要ですが、皆のスケジュールがあわない時、“物理的に来れない人はオンラインで参加してください”という案内通知が当たり前になっていくでしょう。また多くの大学では通学できない学生向けに前期はオンライン授業が実施されています。来年度から入社する学生はオンラインによるセミナーや会議が当たり前という世代となります。

■営業スタイルが変わる

営業スタイルが変わりそうです。不動産探しで住宅を見たい時、営業が同席して案内していましたが、見学者が連絡すれば営業が遠隔でスマートロックを解除します。細かな質問は住宅に置いたタブレットでのオンライン会議でよいし、モデルルームであればテレプレゼンスロボットを用意しておけばよいでしょう。これからは非接触の意識が重要になります。靴をすり減らして家をローラーで回るような営業スタイルは絶滅しますので、営業では分かりやすい資料を先方に事前に送りオンラインで補足説明や質疑応答するスタイルへと変貌していきます。資料には動画なども駆使することになります。

大学ではオンライン授業になりましたが学生も大変ですが、それ以上に大変なのが講師側です。学生が接続できない時の補完手段として、行った講義は録画し後でアップする。講義資料を事前に用意して学生にダウンロードしてもらうなど、今まで教室で話をするだけの講義に比べ準備が大変です。なかには無理だから後期に講義をまわしてくれという年配の教授も出ています。ですが学生も教師も経験しましたので、しっかりとした事前準備をすることが当たり前という感覚で大学を卒業していきます。これから営業スタイルが大幅に変わっていきます。

サーズ、マーズ、新型コロナと続きましたので今後も起きます。今から人が動かなくても非接触でもビジネスを補完できる仕組みを作っておくことが大切です。

■通勤手当がなくなる

すべてを在宅勤務にしなくても週のうち1日、2日は在宅勤務でもよいでしょう。高い家賃を支払って最大人数にあわせたオフィスを用意しなくてもすみます。在宅勤務の日数が増えれば通勤手当や通勤定期の見直しとなり、通信料などを補填するテレワーク手当へと変わっていきます。また通勤が便利な駅前立地のマンションよりも郊外の広い家指向となります。オンライン会議で問題になったのが自宅の部屋が映ることで広い家に部屋を確保できないため仮想背景を使うなど苦労がありました。

徳島県神山町がIT企業のサテライトオフィスを誘致して成功しています。徳島市内から50分ほどかかる過疎の進む山間の町ですが高速回線が揃っていて地代が安い。今まではBCPの観点からの分散がテーマでしたが、在宅勤務の受け皿としても十分。同様に温泉で有名な和歌山県白浜でもサテライトオフィスを誘致しています。一定数、都会から出ていく企業の流れができるでしょう。

■ジョブ制への移行

在宅勤務で洗い出された問題が職能給(メンバーシップ制)と職務給(ジョブ制)です。。メンバーシップ制とは先に人を採用してから仕事を割り振る形で、経験を重ねることで能力が高まることを前提に年功序列や終身雇用になっています。仕事内容が明確に規定されておらず、状況によっては技術職から営業職への異動が行われたりします。責任外の仕事を頼まれることも多く、その報酬はありません。在宅勤務で時間管理が難しい、倫理観が必要だという声が多く上がったのは、働いた時間で管理しようというメンバーシップ制を採用しているかです。

ジョブ制は仕事に対して人が割り当てられる形で仕事内容やゴールが明確で職務定義書(ジョブディスクリプション)で定義します。成果に対する報酬なので短い時間で実現しても時間をかけても社員次第。また同一労働同一賃金が実現できます。管理しなくてもかまいせんから在宅勤務には最適です。富士通など世界に拠点を持つ企業では日本だけで採用していたメンバーシップ制をジョブ制へ移行しています。ただし職務定義書を整備してメンテナンスするのが大変です。

■最後に

ビル・ゲイツの言葉に「成長は一時的に、安定を失うことだ。それは、慣れ親しんでいるが型にはまったやり方や、安定しているが退屈な仕事、時代遅れの価値観、意味のないつき合いを排除することでもある。」があります。

黒船来航が明治維新につながったように大きく時代が動きそうです。我々は、今まで当たり前だった日常という安定を失いましたが、これをチャンスとして成長を目指しましょう!