ウクライナは今

知的生産の技術研究会・関西

テーマ:ウクライナは今
講 師:日本ウクライナ文化交流協会会長 小野元裕氏
場 所:大阪産業創造館

小野元裕

8月24日は33年目のウクライナ独立記念日。そしてロシアが侵攻してから913日目になります。

■ウクライナ人とは
もともとウクライナと交流するために立ち上げた日本ウクライナ文化交流協会ですが、女性や子供の避難民が来日したことから受け入れた自治体から連絡が殺到。ウクライナ語をきちんと通訳できる人材が少ないなか紹介におわれることになります。次に生活支援ですが、ウクライナ人を知らないためにいろいろな摩擦が発生。特に女性は化粧してきれいな服を着ていなければテレビのインタビューにもこたえないという美意識があります。避難民なら、もっと着の身着のままの姿ではという日本人の意識とギャップになります。

また支援する側がやりたいのは「自分のしたい支援」で、本人が必要とする支援とあいません。例えば、1、2回使って洗った下着などが届いたりしますが日本人でもそんなものはいりません。また枚方パークの入場券が届いたりもしたそうです。ウクライナ人は辛い物はダメでカレーは無理。また熱いものも食べないので鍋もダメ。現地のボルシチは冷めて出てくるそうです。

■日本人の関心が薄れる
侵攻1年ぐらいは寄付なども集まりましたが、だんだん減っていきます。現地は寒く発電所などがやられているので使い捨てカイロを現地に送る運動をスタート。デヴィ夫人なども協力してもらい、現地で重宝したそうです。

動きとして自分の兄弟や親戚が戦っているのに日本にいてもよいのかといった罪悪感からウクライナへの帰国が増えています。キーウでは爆撃があってもすぐに修復しています。子供たちのトラウマがひどく、その対策ですがマスコミにとっては絵にならないので、その分、報道が減っているそうです。

知的生産の技術研究会・関西11月セミナー

牧野谷

「チャンネル登録者10万人を突破したユーチューバーが見る風景」

株式会社リブウェルの牧野谷代表にセミナーをしていただきました。牧野谷さんはコンサルが本業で、経営者に言っているだけではダメで自ら実践しなければと、「Youtube 3ケ月で10万人を突破する」と宣言して2019年9月に開始。最初の3ケ月でヒッチハイクなど100本の動画を上げましたが、アクセス数が伸びず低迷することに。

プロダクトアウトではなくマーケットインにしなければと路線変更。中小企業診断士の得意分野である補助金などの情報発信に切り替えます。ちょうどコロナ禍で動画を視聴する年配者が増えたこともあり、翌年6月には1万人を超え、3年弱で10万人(銀の楯)を達成します。スマホからの視聴が多いのですが、大型テレビで見ている割合が多い話や、検索で動画にたどりつく人はほとんどいないなど意外な話題が満載でした。

ウクライナは今

ウクライナは今
ウクライナは今
  • 2年6ケ月ぶりに知的生産の技術研究会・関西セミナーを開催。日本ウクライナ文化交流協会の小野会長に「ウクライナは今」というタイトルでお話いただきました。マスコミでは聞けない話も多かったです。
  • ■タタールの軛
    ロシアとウクライナとの関係はタタール(モンゴル)の軛(くびき)時代に遡ります。キエフに黄金の門がありますが、モンゴル侵攻によって破壊されます。破壊された後にキエフの大門が作られ、ムゾルグスキー作曲の組曲「展覧会の絵」に出てきます。13世紀からロシアはロシアが兄でウクライナが弟と思っていますが、ウクライナは母はウクライナで子供がロシアという感覚でお互いに相容れません。またスターリンがウクライナから食料を奪って何百万人も餓死させられた歴史など、痛めつけられたウクライナがロシアから離れようというのも当然です。
  • ■半径56kmの自宅
    ロシアよりだったヤヌコビッチ大統領が追放されましたが自宅は半径56kmもあって、環状線が2つ入る大きさ。大統領専用の遊園地やホテルなど、やりたい放題で見学ツアーがあるそうです。また山のような部屋に置かれているテレビはパナソニックで空調はダイキンなんだそうです。
  • ■避難民の実態
    ウクライナ人の気質や性格を知らずに日本人は支援しているため、けっこう齟齬がでているそうで、コサック気質の話などを聞くと日本が考える支援は一考の余地ありです。また日本にきている避難民にもいろいろあり、支援している側もいろいろで、こんな話は報道で出てきませんね。ロシアはウクライナのロシア人が迫害されている理由で侵攻しましたが、日本人がアイヌを迫害しているとロシアが言いだすなど気になる話も出ていました。ウクライナ人とガチでつきあっている日本人は少なく、そらマスコミも小野さんに取材にいくはずです。

文明の生態史観

コロナ禍で全然、知的生産の技術研究会・関西を開催できないこともあり古い写真を整理すると2002年の写真が出てきました。神戸・板宿 禅昌寺で日本ローマ字会と共催で行ったセミナーです。

梅棹忠夫
梅棹忠夫

梅棹忠夫先生に「文明の生態史観」というタイトルでお話いただきましたが、進行はQ&A形式で最初のいくつかの質問は私と日本ローマ字会会長が行います。ということは、準備が大変で中公文庫の「文明の生態史観」を熟読しないといけないということです(笑)。おかげでイギリスの空母が日本などへ向けて出航したというニュースも、「文明の生態史観」を元にいろいろな視点から見ることができます。やはり名著ですね。それにしても我ながら若いな~あ(笑)。

八木哲郎さんの訃報

「知的生産の技術」研究会を作られた八木哲郎さんが、21日に老衰のため亡くられました。ご冥福をお祈り申し上げます

■そもそものスタート

1969年、梅棹忠夫先生の「知的生産の技術」(岩波新書)に触発され、八木さんは会社(味の素)を辞めて独立。ひらかなタイプラーターを売り出し、大学の先生に引っ張りだこに。作家やコピーライターなどにも売れ、あわせてセミナーなども開催し、つけた名前が「知的生産の技術」研究会です。

■東京には知研なるものがあるらしい!

そしたら梅棹先生が「東京では、知的生産の技術研究会というのがあり、たくさんの人を集めているらしい」と岩波のPR紙に書いていたのを発見してびっくり。八木さんはあわてて京都へ行って梅棹先生の許可をとったそうです。笑って許してくれて顧問に就任してもらえました。

■社外勉強会・異業種交流会のゆりかごに

顧問が梅棹先生ということもあり、有名人や時の人が講師を引き受けてくれました。八木さんが大宅マスコミ熟出身で、その人脈もいきました。当時、集まった人たちからコーヒー代を徴収し一流の人の講演を一般の人が聞く形のセミナーはなく知研セミナーは一躍有名に。知研がきっかけで全国に社外勉強会や異業種交流会が生まれることになります。植字の仕事などがなくなるため新規事業を考えていた朝日新聞もやってきてノウハウを吸収して立ち上げたのが朝日カルチャーセンターです。

■知研関西スタート

八木さんは梅棹先生から機関誌を出しなさいと言われていたので毎月発行していました。私が入会した頃は知研ニュースという名前で講演録などが掲載されていましたが、読むだけでは面白くないと1987年に立ち上げたのが知研関西。あの頃は27歳の青年でしたねえ(笑)。若かったな~あ!八木さんとは翌年ぐらいに始めてお会いして、以来、年に1回ぐらいは東京へ行った時にお会いしていました。おかげで梅棹先生とは何回もお目にかかれる機会ができたり、いろいろと勉強になりました。

八木哲郎
八木哲郎

写真は1997年に大阪YMCA会館で知的関西10周年セミナーを開催した時の八木会長です。この時は梅棹先生にも知的生産の技術というテーマでセミナーをしていただきました。ご冥福をお祈りします。

トッカイ

■住専って、ご存知ですか?
銀行が作った住宅金融専門会社でバンバン不動産融資をすることから地価が高騰。マスコミや野党から突き上げられた国が総量規制という通達1枚を出してバブル崩壊。結局、失われた20年となりました。銀行が次々と倒産し、たくさんあったメガバンクが3行に集約されます。膨れ上がった債務を取り立てるためにできたのが整理回収機構。メンバーの多くが破綻した住専や金融機関の出身者たちで、泥沼の債権回収に奮闘する物語が「トッカイ」ですが、全て実名。

トッカイ
トッカイ

本を読んでいくと津田敏夫さんという知り合いの名前が出てきてビックリ。現在のコンサル会社を設立する経緯もよく分かりました。「トッカイ」とは不良債権特別回収部の略で、WOWOW開局30周年記念ドラマとして放映されるそうです。

■司社長の提言
1994年に知的生産の技術研究会・関西で別件で大阪へ来ていたウイクリーマンションツカサの司社長にセミナーをしていただきました。ちょうどバブルが崩壊し、不動産と株式関係が大打撃をうけていた頃で「大富豪だったのが大貧民になってしまいました。」とおっしゃってました。

「すべてはこのバブルは不動産屋が悪くってあいつらに金を貸したからこうなったんだと大蔵省の通達が出て、不動産屋をしめつけて土地の値段が下がろうが株の値段が下がろうが、それはが困るだけで何の影響もないと思ってたんじゃないですか、皆さんも実はそう思ってたんじゃないんですか3年ほど前までは。だから不動産屋がつぶれようとザマミローじゃかったんですか。今になってみるとこっちがザマミローですね。」

■自分で考えるしかない
土地がどれだけ下がろうと株の値段がいくら下がろうと実態経済には影響しないと当時のエコノミスト、官僚、経済学者とかみんな言っていて、国民もそう思ってましたが、そんなことはなく結局、失われた20年になってしまいました。やっぱり自分の頭で考えないといけませんなあ。いろいろと考えされられる1冊です。

知的生産の技術研究会50周年

1969年に発刊されたのが梅棹忠夫先生の「知的生産の技術」(岩波書店)で、この本に触発されてできたのが知的生産の技術研究会。

梅棹資料室
梅棹資料室

研究会の発足が1970年なので、今年50周年を迎えます。50周年事業を大阪・京都で2日間にかけて開催予定だったのですがコロナ禍の影響で大幅にイベントを縮小。ちょうど国立民族学博物館で開催されている梅棹忠夫生誕100年記念企画展「知的生産のフロンティア」見学を主とすることになりました。まあ聖地巡礼ですなあ(笑)。

■贅沢な説明
民博前に集合して記念企画展を企画された飯田教授の案内で見学。「知的生産の技術」執筆時のカードや原稿、いろいろな裏話を聞きながら梅棹資料室に移動して、アーカイブをどう扱っているのか等のお話を伺いました。なかなか贅沢な時間でした。本が出た頃はパソコン執筆ではなく原稿ですので出版社から原稿を取り返す必要があり、個人的なアーカイブを作るには、そういった執念が必要なんですね。

■本は100刷に
「知的生産の技術」(岩波書店)は今も発売されていて先日、100刷となり帯が金色になったそうです。後で梅棹先生の元の秘書の方から梅棹資料室には1刷から100刷まで全て棚に揃ってますよという話を聞き、ウーン気が付かなかったなあ。もっとも膨大な資料のなか探すのは大変です。

50代のための年金入門

堀越正夫
堀越正夫

知的生産の技術研究会・関西2月セミナーを開催。テーマは「50代のための年金入門」で講師は堀越社労士経営支援事務所 代表の堀越正夫さんです。


■2000万円問題
年金以外の資産が2000万円が必要になると報道され大問題となりましたが、そもそもの数字が年金生活になって家計の見直しをしないことが前提になっています。また元となっている家計調査ですがピックアップ調査なので毎年、差が出ており翌年に同じ計算をしたら1500万円の不足となって500万円も減ってしまいました。ただマスコミのどこも報道しません。また60代の悩みは健康、認知症、自信の介護でお金は4番目になります。

■年金制度とは
・報酬比例分は老齢厚生年金と同じで、もらうのもずらしても年金が増えるわけではない
・日本年金機構から封書が届くので、よく読んで申込すること、自分から言わないと年金はもらえない
・配偶者の年齢によっては加給年金もある
・繰り上げ、繰り下げでどう変わるの
など複雑な年金制度を分かりやすく説明してもらいました。それにしても分かりにくいですねえ。

被災者生活再建支援法

小田実
小田実

あれから25年。

当時、京都の専門学校で教員をしており地震の時はトイレに入っていて、「地震だ~あ!」と叫ぶだけでした。だって出るに出られないし。

阪神大震災で家を失った人達などへの公的支援がなかったことから小田実さんらが中心になってできたのが被災者生活再建支援法です。私有財産に公費を投じることはできないという風潮を変える動きとなりました。

しかし江戸時代には再建の仕組みがあったんですね。江戸は火事が多く、幕府から町屋の間口の間数に応じて下賜金が出て、これが再建資金となりました。オランダの商館長が泊まった長崎屋の場合、3500匁(700万円ほど)が出たようです。ただし町屋の大家が対象で借りていた庶民は対象外になります。藩ごとに政策が違っていますから江戸以外に同様の制度があったかは不明です。

知的生産の技術研究会・関西では阪神淡路大震災があった1995年の5月,小田実さんに「被災の思想」というタイトルで講演してもらいました。まだ被災者生活再建支援法などの草案前で公的支援などの必要性などを訴えておられました。

カンボジアの子供たちに通学用自転車を

知的生産の技術研究会・関西というのを30年以上やっておりますが昨夜は大阪産業創造館で「クラウドファンディングで教育のチャンスを守る。カンボジアの子ども達に通学用自転車を!」セミナーを開催。

講師は安田コンサルティング代表 安田 勝也氏です。
・カンボジニアの歴史
・ポルポト政権が国に与えたとんでもない影響
・ダルニー奨学金がきっかけで訪れたカンボジア貧困家庭の実態と本当の現実
・本当に必要な支援はなにか
・日本で走っていた中古自転車なら学校へ通う間は持つということではじめた自転車プロジェクト
・クラウドファンディングReadyForの活用をはじめる
・ReadyForにはどんな申込や手順が必要で、プロジェクト実行時の支援金の時系列の動き、特に中だるみ期間をいかに乗り切るか
など、多彩な内容でした。

最近、支援先の学校までプノンペンから2日間ほどかけてママチャリで走っています。(走った自転車もプレゼントされます)「皆さんがこれから使う自転車は2日走ればプノンペンに着きます。プノンペンからは世界中につながっていますので、未来を信じてがんばってください。」と挨拶するのが定番なんだそうです。

今年もプロジェクトが動いており、締切は9月末で、あともうちょっとというところまで来ています。All or Nothing型なので、達成しないとプロジェクトはチャラになります。

→ 自転車1台で変わる未来。カンボジアの子供たちに通学用自転車を!