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本日は1年のちょうど半分。枚岡神社の夏越の祓(なごしのはらえ)に行ってきました。
朝にお参りに行って、紙の人形(ヒトガタ)「に家族の名前と生年月日を書いて、先に奉納しておきました。夏越の祓は15時から。日曜なので人が多かったですね。
「水無月のなごしの祓する人はちとせの命のぶというふなり」と歌いながら茅の輪を左まわり、右まわり、左まわりと八の字に三回通ってケガレを祓ってきました。
最後に皆で大祓詞をあげながら人形を火で焼いて終わり。人形に名前を書いて祓うということは平城京時代と変わりませんね。もともとは701年の大宝律令から始まった行事ですので、1300年以上続いています。
月: 2013年6月
たまには近くの企業相談もいいものだ
午前中は原稿書き、午後は専門家派遣に出かけていました。
珍しく、地元の東大阪商工会議所からの依頼で、企業さんの場所を聞いたらウチのすぐ近く。「近くなので歩いていきます」と言ったのですが、「いやいやお迎えに行きます」ということで商工会議所の車で企業さんへ。ほんまに、すぐ近くでした。と言うか時たま散歩に通るところでした。(笑)
迎えに来てもらった経営指導員に聞くと、案件に対して東大阪をキーワードに専門家を探したそうです。データベースでは細かい住所まで出てこないので、まさかこんなに近い専門家とはと驚いていました。驚いたのは住所を聞いたこっちもです。
いつもは三重の大田舎、名古屋、神戸など遠方の企業さんが多いのですが、たまには近くもいいもんですね。帰りは歩いて帰ってきました。
今日の仕事はこれで終了なので、一杯はじめています!
大物 兵庫県の難読地名
兵庫県にある知名です。「大物」を何とよみますか?
「おおもの」ではありません。
阪神電車に大物駅があり、阪神梅田へ行く路線と西九条から難波を抜けて、そのまま近鉄に乗り入れて奈良へ向かう路線との分岐駅です。もっとも普通しか停車しないので、一つ先の尼崎駅で乗り換えする人がほとんどです。
大物のよみかたは「だいもつ」。古い地名で大物は平安時代に港町として栄え、材木の集散地でした。知名は巨材を意味する「大物」からきているようです。
日本史では大物崩れ(だいもつくずれ)で有名です。赤松政祐・細川晴元・三好元長の連合軍と細川高国・浦上村宗の連合軍が戦っていて、こう着状況が続いていましたが、大物での戦いで細川高国側が敗れてしまい、戦況が大きく変わってしまいました。室町幕府の実権を握った細川氏の内紛でした。尼崎のすぐ近くですが、この地には大物城があったようです。今では何も残っていません。
あゆち 名古屋市
御器所駅(ごきそ)から名古屋市新事業支援センターがある吹上方面に歩いていく途中で見つけたのが阿由(あゆち)という知名。
「あゆち」って、まさかあの「あゆち」!
尾張には昔から「あゆち思想」の伝説があり、「あゆち」とは海から吹いてくる幸福の風のことをさしています。万葉集には「桜田へ鶴鳴きわたる年魚市潟(あゆちがた) 潮干にけらし鶴鳴きわたる」という歌があり、愛知県の「あいち」も「あゆち」に由来していると言われています。
作家の童門冬二氏によると織田信長はこのこの「あゆち」の風を尾張だけでなく日本全国に吹かせたいと考えていたのではないか、と考えています。後に作った安土城も「あゆち」からきているのでは述べています。
吹上も昔は入海になっていて、風波が岸に吹き上げていたことに由来しますので万葉集に歌われた「あゆちがた」もこのあたりにあったんですかねえ。
ITC三重 イノベーションの方向性
三重県内のITコーディネータの集まりであるITC三重の定例会
本日はセミナーを2本開催しました。
一つ目はビジネスブレークスルー大学院大学 深尾教授による「企業のグローバル化に伴うイノベーションの新しい方向性」。ビジネス・ブレークスルー大学院大学は大前研一氏が作った実践型大学として有名です。深尾教授は長くアメリカでコンサルティングをされていた方。海外企業は自社だけでR&Dを行わず、外の意見をよく聞いてイノベーションを実施しているという話は新鮮でした。
2本目はK&Weニシゾノ企画の西園代表による「情報システムのマスター鮮度管理について」。商品が設計変更されてもマスター変更を忘れていることがしばしば。マスターの情報項目をいかに鮮度よく更新するかというお話し。
セミナー後にIT経営応援隊時代に行っていた経営者研修会をもう一度、やろうということで盛り上がり、次回にも続けて検討することになりました。
WOC認定看護師コースの担当講座が終了
京都橘大学 WOC認定看護師コースが終了。先ほど成績をつけて大学へ送りました。
認定看護師とは、特定の看護分野における看護師の専門家で、京都橘大学の場合は創傷・オストミー・失禁(WOC)看護分野の認定看護師を養成しています。看護師としての5年以上の実務が要求されますので、受講生は現役の看護師さんばかり。例年、1、2名の男性看護師が混じっているのですが今年度は女性ばかりでした。
最終講座では「WOC認定看護師になった時の抱負」というテーマで皆さんにプレゼンをしていただきましたが、皆さん病院の期待を一身に背負って参加されていることがよく分かります。認定看護師というのは本当に希少な存在なんですね。なかにはお子さんが小さいのに単身赴任状態のお母さんもいます。大変ですが女子大生に混ざって大学生活を満喫されています。
さてプレゼンですが現役の看護師さんなので、ウチの病院の症例ですと褥瘡(じょくそう)の写真なども平気で出てきます。一般人が見るとかなりエグイ写真で、最初に講座を受け持った時はショックでした(笑)何年も講座をやっているとすっかり慣れてしまいました。
池田城
木木会 中小企業診断士の交流会
夕刊フジ 熟年起業
夕刊フジの「熟年起業」コーナーに後編が載りました。昨日夕方、津で夕刊フジを探したんですが、まわったコンビニには置いておらず、JR名古屋駅のキヨスクで今朝、売れ残っていた夕刊フジを見つけました。
「成功する人、失敗する人の分かれ目は 経験生かす柔軟性」がタイトルで、シニア起業でうまくいかない人は、どういうところに問題があるのかがテーマです。
うまくいかないパターンの一つが、自分の起業プランに凝り固まっている人。あくまでもプランはプランなので、やってみなければ分かりません。当然、現実に対応してプランを修正しなければならないのです。柔軟性がある人は、すぐに方向修正をして、事業を軌道に乗せることに邁進(まいしん)しますが、最初のプランに凝り固まっている人は方向修正が遅れ、ずるずると対応を先延ばしにしてしまい手遅れになってしまいます。その点を相談時に指摘しても、頑固に変えないですね。
映画ALWAYSの舞台が尼崎にあった
尼崎の城下町を再現した模型が近くにあるということで尼崎市立文化財収蔵庫へ行ってきました。もともとは尼崎市立高等女学校の校舎だったそうです。
江戸時代の尼崎の城下町を復元したでっかい模型や縄文、弥生時代の資料などを見て、カウンセリング室に入ると黒板に「特別公開練習 鈴木一平とサンシャインブラザーズ」と書かれていました。
なんだこれはと中に入ると映画「ALWAYS 三丁目の夕日’64」(続編)のロケがここで行われたと書いてありました。鈴木オートの一人息子の一平君がエレキに凝りだし、仲間と公開練習をした場所。ヘタな演奏で観客が「なんだあ~」という顔を映画でしていました。あのシーンが撮られた場所で、黒板などはそのまま残してあるそうです。
そういえば入口を入ったところに凡天堂病院という大きな文字の看板が置いてありましたが、この収蔵庫の玄関が菊池孝太郎(六子が結婚する)の勤める凡天堂病院として使われました。歓楽街に車に乗って遊びに行く(実は往診)菊池先生を六子がおっかけるシーンで使われています。
てっきり東京で撮影したものばかりと思っていたんですが一部に尼崎の学校が使われていたんですね。